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第14話 / 全32話
帰省する前日の夜。やっくんに血をあげるために、採血キットをテーブルに準備した。
「……少し多めにもらってもよいか」
「うん。しばらく会えないからね」
二の腕を駆血帯で縛って、左腕の肘の裏をサッと消毒してから、自分の血管に注射器の針を刺す。やっくんが来てから、何度も行ってきた日常だ。
溜まっていく赤黒い血を、やっくんは静かに見つめていた。
いつもより少し多めに溜めてから、マグカップに注ぎ、やっくんに手渡す。やっくんはゆっくりと、味わうように私の血を飲み干した。
使い終わった採血キットを片付けた後は、いつものようにやっくんとおやつを食べたりおしゃべりして過ごした。そして、気づけば夜中になっていた。そろそろ寝ないと。でも、寝たらもう年明けに帰ってくるまでやっくんとは話せない。私は名残惜しく思いながらもこたつを出た。
「……そろそろ寝るね。おやすみ。良いお年を」
「……良いお年を」
次の日の朝。目を覚ました私は、ベッドから出てクローゼットへ向かう。少しだけ開けて、中を覗く。すやすやと寝てるやっくんの顔を見てにっこりし、そっと閉めた。
朝食を食べて身支度済ませ、昨日のうちにクローゼットから出しておいた服や、帰省中に使う化粧品などを鞄に詰めていく。
準備が終わって出かける直前まで、私は寝室に戻るともう一度クローゼットの中を覗いた。
「……行ってきます」
小さく口にだして、そっとクローゼットを閉める。それから、荷物を持って家を出た。
実家への帰り道は、地下鉄と電車、バスを乗り継いで二時間ほどかかる。でも年末は混んでいるから、もう少し時間がかかるかも。途中で手土産を購入し、帰省客に揉まれながら移動した。
実家へは昼過ぎに到着した。自分で鍵を開けて家に入る。するとリビングの扉が開き、小さな人影が飛び出してくる。その人影はそのままこちらに突っ込んできた。荷物を持ったまま両手で受け止める。五歳の甥っ子、陽向である。半年前と比べてまた背が伸びたなぁ。
「ちはる! おそいぞ!」
「ごめんねー、混んでたからさ。お土産あるよ。みんなに渡してきて」
紙袋を渡すと、陽向はリビングへ駆けていった。今日も元気だ。
靴を脱いで家に上がり、リビングに入ると、両親と、弟・春樹とその奥さん、そして陽向がくつろいでいた。
「おかえり千春。昼ごはんうどんなんじゃけどいる?」
「ただいまー。いるいる! もうお腹ぺこぺこ!」
うどんを食べた後は、みんなとリビングでくつろいだり、陽向と遊んだりして過ごした。
そうこうしているうちに日が暮れてきた。今年ももうすぐ終わり。……やっくんは、そろそろ起きたんだろうか。
みんなと賑やかに過ごしながら、つい意識だけはいつもの家に向いてしまっていた。
***
目を覚まして物置から出ると、部屋の中は暖かくて静かだった。いつもなら、ベッドの上に脱いだままになってる千春の服。今日は、なかった。
居間に行くと千春はいなかった。部屋の中は、きれいに整っていて、いつもよりも少しだけ物が少なく感じられた。脱衣所に行くと、洗面台の棚に置かれている物が明らかに減っている。たぶん、実家に帰る時に持って行ったんだろう。
居間に戻って、飛び上がって戸棚の上へ上がった私は、その場でじっとしていた。しばらくそのまま、時間だけが過ぎていった。
すっかり暗くなった居間を見下ろしていると、突然、充電に繋いであったすまほから音が鳴った。飛び降りてサッと手に取って線を抜くと、また戸棚の上に戻る。操作して確認すると、千春から何か届いてる。
黒い鉄鍋で肉や野菜などの食材を煮ている絵だった。そのあとさらに文字が表示される。
『起きた?』
『すき焼きしてる』
起きた、と言いたいが、文字の書き方をまだ習っていないのでできない。私はすたんぷを送った。
送られてきた絵をよく見ると、鍋の背後には人が何人か見切れてる。家族みんなで鍋を囲んでいるようだ。千春は、家族団欒の時間を過ごしてるのだろう。
……年末年始。昔、寺にいた頃は、たしか大掃除だと言って隅々まで綺麗にしていた。私は部屋の中を見下ろす。普段から掃除しているのでそんなに汚れているところはないが、いつもよりもさらに丁寧に掃除するのも、悪くはない。
戸棚の上から飛び降りて、物干しに掛けてあった雑巾を手に取った。
***
やっくんの生存確認ができたので、私は安心してすき焼きを食べていた。やっぱりスマホは買って正解だった。
すき焼きは、まだ家ではしたことがない。牛肉高いし。でも、やっくんとも一緒に食べてみたいなと思った。タレの味が甘めだし、結構好きなんじゃないかな。そんなことを考えながら、みんなと雑談をしつつ食べ進める。
しばらくして、ポケットの中でスマホのバイブが鳴る。手に取って素早く確認すると、やっくんから画像が届いていた。
暗い部屋でフラッシュを焚いて撮ったみたい。……これ、たぶん撮った瞬間眩しくてびっくりしたんじゃないだろうか。
画像には、キッチンの五徳が写っていた。よく見ると、五徳がピカピカだ。周りも拭きあげたのか、汚れひとつない。まるでショーウィンドウのキッチンみたいになっていた。
やっくん、大掃除してるんだ。一生懸命掃除をするやっくんの姿を思い浮かべたら、自然と口元が緩んでしまった。
「千春……ひょっとして彼氏?」
母の質問に思わず吹き出す。
「違う違う!」
その後無事に年を越した私は、家族とゆっくり食事しておしゃべりしたり、初詣に行ったりして過ごした。
家族との穏やかな時間を過ごしながら、夕方から夜にかけてやっくんとメッセージのやりとりしていた。
『陽向がお年玉いっぱいもらってる』
『初詣寒かった〜』
そんな何気ないメッセージにも、やっくんはすぐにスタンプを返してくれた。
やっくんは掃除したり、買っておいたバナナを食べたりして過ごしてるみたい。こちらからも、初詣のおみくじの写真や遊んでいる陽向の写真を送った。やっくんはすぐに既読をつけ、相変わらずスタンプだけ返してきた。
元旦の日の夕方。みんなでテレビを見ながらおせちを食べてたら、母から「結婚は?」と聞かれた。
最近彼氏と別れたから、当分先だと答えた。父も母もがっかりした様子。そう言われましても。
そんなことより、帰る時のお土産はどうしよう。やっくんは甘いものが好きだから、やっぱり銘菓のお饅頭だろうか。そんな考えで頭が占められていた。
***
千春がいなくなって三日が経っていた。
掃除はとっくに終わっていて、窓も床も台所も、磨くところはもうなかった。
私はただ、戸棚の上でじっとしていた。
ふと、玄関の外から人の気配を感じて耳がぴくりと動く。ガチャ、と音が鳴る。私は戸棚から飛び降りて玄関の前に立った。
「ただいまー!」
「……おかえり」
たったの三日。いつもなら瞬きするような時間だった。でも千春のいない三日間は、今まで生きてきた中で一番長く感じた。
「やっくん〜、会いたかった!」
靴を脱いで荷物をその場に置いた千春は、こちらに近づいてきた。そのままぎゅっと抱きしめられる。思考が止まる。千春はすぐに離れた。
「あ、ごめんごめん! なんか、帰ってきたな〜って感じがして」
悪びれなくそう言うと、床に置いた紙袋を手に取った。
「お土産買ってきたよ! これ、やっくん好きそうかなと思ったんだけど」
そう言って、何か手渡してくる。何を受け取ったのか、分からなかった。
さっき抱きしめられた腕の感触だけが、頭から離れない。
手渡された土産を見ることもできず、腕に残る温もりだけを、何度も思い返していた。
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