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第15話 / 全32話
「今日はスマホの文字入力を教えます!」
年末年始が終わり、いつも通りのシフトで仕事が再開した後のある日の夜、私はスマホを手にそう宣言した。やっくんは、きょとんとした顔でこちらを見ている。
「……今度は何なのだ……?」
「文字入力。文字が打てるとメッセージでやりとりできるよ。それに検索ができるようになるから、色々調べられて便利だと思う!」
「けんさく?」
「分からないことは、検索したら大体出てくるから」
「……何でも、分かるのか」
「だいたいねー。まあ、本当に全部じゃないけど」
私はやっくんをソファーの隣に座らせると、メッセージアプリを開く。スマホのキーボードを実際に見せながら、その場でフリック入力をして見せた。
やっくんは、読み書きはすでに習得済みだ。だから、あとはフリック入力を覚えればかなりスマホを使いこなせるだろうと思った。
ローマ字入力派もいるだろうけど、それだと新たにローマ字を覚えなくてはならない。やっくんの場合はフリック一択だろう。
「……こんなかんじ。自分のやつでも試しにやってみて」
そう促すと、やっくんは自分のスマホのメッセージアプリを立ち上げる。長押で表示される文字を見ながら、ゆっくりと文字を選ぶ。そして、表示される漢字の予測変換から、適切なものを選択する。やっくんは、ずらっと羅列される漢字に戸惑っていた。「慣れるまではひらがなでもいいよ」と言うと、こくりと頷いた。そしてやっくんは、その日のうちに短い文章を作れるようになった。
「さすがやっくん! 慣れてきたらもっと早くできるようになるよ!」
「う、うむ……。なんだか細々としているから、直接書きたくてうずうずするが……」
「慣れだよ慣れ。慣れたら直接書くより速い」
そう言ってから、私はいいことを思いついた。やっくんの方に向き直る。
「ねぇ、次に私が仕事に行ってる時、何か適当にメッセージを送ってみて! 実際にやったら上達すると思う」
「適当って……。何を送ればよいのか」
「起きたとか眠いとかそんなのでいいよ。それか、前に送ってくれたバナナホルダーの写真みたいなかんじ」
「そんなことを、わざわざ知らせるのか……?」
「だから、練習なんだってば。いい? 宿題だからね」
そんなやりとりをした後の夜勤の日。夜の21時過ぎた頃に、ポケットの中でスマホのバイブが鳴った。ちょうど手が開いていたので確認すると、やっくんからメッセージが来ていた。
(よしよし。ちゃんと宿題やってるね)
アプリを立ち上げ、メッセージを確認してみる。
『ねむくないか』
『いえはだいじょうぶ』
思わずクスッと笑みが溢れた。私はすぐに「眠くないよ。家の見守りありがとう」と返事を送る。送ったメッセージはすぐに既読がついた。そして、しばらくしてからまたメッセージが届く。
返事を書きながらつい頬が緩む。家にいない時間もこうやって会話ができる。スタンプだけでも嬉しかったけど、やっくんが一生懸命文字を打ってると思ったら、この短文がなんだかすごく愛おしい。嬉しいな、と思った。
***
千春となんてことのないやりとりを終えた後、私は戸棚の上でひとりスマホの画面を見つめていた。
「……何でも分かると言っていたな」
文字の打ち方を習った後に千春が教えてくれた『ぐーぐるけんさく』というものが気になっていた。すでに家事は完了し、千春の朝食の仕込みも終わって時間がたっぷりある。試しにやってみることにした。
ぐーぐるあぷりなるものを指で触ると、パッと画面が変わる。一番上の枠に触れてから、文字を入れていく。
『レバー 下処理』
すると、レバーの写真と一緒に説明文が一気に表示された。以前、千春に教わった血合いを取り除き、水で洗う処理方法が分かりやすく書かれている。
これは、確かにすごいな。そう思いながら下まで読んでいくと、後半の説明文が目に止まる。そこには、牛乳に浸すと臭みがとれる、と書かれていた。今のままでも千春はよく食べているが、せっかく食べるなら美味しい方がいい。次にレバーを料理する時に試してみることにしよう。
次に調べたのは、『貧血に良い食べ物』について。
すると、またパッと説明文が表示される。読んでいくと、レバー、牛もも肉、大豆、小松菜、ほうれん草、ひじきなどと書かれていた。
(……なるほど)
さっき朝用に作った味噌汁には、たまたま小松菜を使っていた。冷蔵庫の中には、まだ使っていない小松菜も残っている。毎日の味噌汁に入れて、しっかり食べてもらうことにしようと思った。
次は、少し考えてから『ケーキ』と打ってみる。
すると、説明文の他に画像がずらりと並んだ。前に食べたものに似た白地に赤い果物が乗せられたものの他にも、茶色いものや、黄色っぽいものもある。……こんなに種類があるのか!
指をスッと画面の下から上に動かすと、下にもずらりとケーキが出てくる。……全部違う。どんな味がするんだろう。食べてみたいな、と思った。
次は、バナナについて調べてみることにした。
『バナナ 栄養』
『完全栄養食と呼ばれるほど栄養豊富だが、単体では一日に必要なすべての栄養を補えない。タンパク質やカルシウムを補う必要がある。』
これには、ほんの少しショックを受けた。バナナだけ食べるのは良くないのだと分かった。これからは。別なおやつも頼むようにしよう。
次。『人間 睡眠時間』と入れてみた。
七〜八時間と書かれている。
千春の生活を思い出す。朝帰って、昼前から夕方まで寝る生活。……明らかに足りていない。寝不足なのではないか? 少し心配だ。
続いて、『夜勤 体に悪い』『疲れ 食べ物』といった内容についても調べて、明日帰ってきたら梅干しを食べてもらおうと考えたところで、ふと、自分の腕に目が向いた。私は少し考えてから、それを枠の中に入力する。
『人間 抱きしめる 意味』
『人間が抱きしめる(ハグする)行為には、「愛情・親愛の情の伝達」「安心感やストレスの緩和」「承認や絆の確認」といった意味がある。』
「…………」
私は、ぐーぐるけんさくの画面を閉じた。すまほの光が消える。暗い部屋の中の戸棚の上で、私はしばらくしゃがみ込んでいた。
***
夜勤上がりの朝。仕事を終えて家に帰ってくると、机の上に朝ごはんのおかずが置いてあった。ラップがかけられた平皿の横に、ちょこんと置かれた小鉢。中を覗くと梅干しが一粒入っていた。そして、キッチンの鍋の中にはお味噌汁も。小松菜の緑色が鮮やかで彩りが良い。
着替えてから一人で席に着いてゆっくり食べた。今日もとっても美味しかった。食べ終えたら食器をシンクに運び、寝室に行ってベッドに潜り込む。そのまま少しスマホを眺め、気づかぬうちにそのまま寝落ちしていた。
目を覚ますとすっかり夕方になっていた。リビングに行くと、キッチンにやっくんが立っている。
「おはよー」
「……おはよう」
「今日は何作ってるの?」
横から覗き込むと、やっくんが驚いたように後ずさる。
「……あ、いやその、これは別に」
なぜかやっくんの目が泳いでる。私はキッチンの上に目を向けた。
すでに切られた玉ねぎと、おろされた生姜。小さなボウルに茶色い合わせ調味料が入っている。
「……分かった! 生姜焼き!」
「……よく分かったな。当たりだ」
座っているように言われ、ソファーに座って待つ。しばらくすると、完成した料理が目の前に運ばれてくる。小松菜の入った色鮮やかな味噌汁と、湯気の上がる出来たての豚肉の生姜焼き。口に運ぶと、甘辛さと生姜の風味がたまらない。
二人で食卓を囲むいつも通りの夜。その日から、やっくんの料理に少しずつバリエーションが増えていくことを、私はまだ知らない。
今日もまた、そのまま夜が更けていった。
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