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第20話 / 全32話
食事の後、やっくんはいつものように洗い物を片付けた後、スマホを持ってソファーの肘置きの上にしゃがんでいた。ソファーの肘置きは、戸棚の上に続き、やっくんのお気に入りスポットになりつつある。ちなみにソファーは二人掛けなので、やっくんが私の隣に座ってくれれば、二人で腰を下ろすことは可能だ。むしろ、そういう使用方法を想定した家具である。でも、やっくんはソファーに腰掛けて寛ぐよりも肘置きにしゃがみ込む方が落ち着くらしい。なので私は特に何も言うことなく、ひとり背もたれにもたれかかっていた。
もたれながら、ちらりと横目でやっくんのスマホの画面を覗き見る。真剣な表情でスマホを見つめるやっくんが、いったい何をしているのか気になってしまったのだ。すると、ケーキの画像が私の目に飛び込んできた。ケーキの画像と、下にずらっと説明が続く。どうやら、ケーキのレシピを読んでいるようだ。
最近、やっくんは毎日の食事だけでなく洋菓子をよく作ってくれるようになった。ケーキを焼いてくれたこともある。Amazonで買ったケーキの型で、ショートケーキを焼いてくれたのだ。その時は私も一緒に材料を買いに行き、生クリームやイチゴを選んだ。帰ってきてから、やっくんは早速スポンジケーキを焼いたのだが、最初のスポンジはきれいに膨らまなかった。でもおやつにはちょうど良くて、その日はお茶と一緒に楽しんだ。手作りの美味しさに私は満足だったのだが、やっくんの方はぜんぜん満足していなかったらしい。その数日後、やっくんはまたスポンジケーキにリベンジした。上手に膨らんだスポンジを一晩冷蔵庫で寝かせ、それを真ん中で半分にスライスして生クリームとイチゴでデコレーションした。これが思った以上に出来が良くてめちゃくちゃ美味しかったのだ。手作りケーキとしては満点だったと思う。けれど、作った本人はそれにもあまり納得いかない様子だった。料理が上手いのも、こうやって突き詰めた結果なんだなと感じる。本当に、向上心の高い蝙蝠である。
というかそもそも。市販のケーキを食べたのはまだクリスマスの一度きりなのだ。あの時がきっかけでケーキに興味を持ったのだとして、たった一度食べただけのケーキを再現しようとしているのだとしたら。
……考えなくてもわかる。サンプルが少なすぎる。パティシエになる人はたぶん、店のケーキをたくさん食べて勉強する。趣味で作る人だって、たぶんもう少し他人の作ったケーキを食べて勉強するだろう。
そう考えた私は、仕事の帰りにケーキを買って帰ることにした。
仕事終わりの帰り道、病院に近い洋菓子店に立ち寄る。
シフォンケーキ、チョコケーキ、ガトーショコラ、チーズケーキ……それ以外も色々。最初に食べたショートケーキ以外にも、色々なケーキがある。どれも美味しいから、やっくんに知ってもらえたらいいなと思った。
決して私が食べたいわけではない。これはやっくんの趣味を応援する勉強代だ。そう言い聞かせながらケーキを買う。今日選んだのは、シフォンケーキとチョコレートケーキ。この二つならふわふわのスポンジと、この間好物だと分かったチョコの両方が味わえる。……でも正直なところ、単純にやっくんの喜ぶ顔が見たかったというのが理由かもしれない。最近の私は、やっくんの喜びそうなものを選んでいるときがいちばん幸せなのだ。これも推し活に入るんだろうか。うん、たぶん入ると思う。
ケーキを持って家に帰る。冷蔵庫にしまっておき、夕食の後に取り出して見せると、やっくんはとても驚いた顔をした。少ししてから、「ありがとう」と言って微笑んだ。
その後一緒に食べたのだが、やっくんはすごく真面目な顔で食べていた。本当に勉強みたい。そして、食べてる途中にやたらこちらを見つめてくる。それが少し不思議だった。
少しして、やっくんが口を開く。「美味しいか」「どういうところが好きか」「前回食べたものと比べてどうか」など、ケーキに関する質問だった。
私としては、正直ケーキの種類による差はそんなにない。気分で選んで食べているだけである。そんなに事細かく聞かれても困る。なので、逆にこちらからやっくんに「このケーキはどう?」と質問を返してみた。すると「甘さが控えめで素材の味が引き立ってる」だとか「このクリームの装飾は見事だから参考にしたい」などと実務的な感想が返ってきた。本当にパティシエ目指してるみたい。これには私もつい笑ってしまった。
***
クッキー、ケーキ、マカロン。バレンタインでチョコを贈られてから、私は菓子のことを調べ、試作を繰り返してきた。その結果、お返しにはケーキを選ぶことにした。なんせ、もらったものの三倍を返さなくてはならないのだ。ある程度手間のかかる品にしないと割に合わないだろう。
千春が仕事終わりにケーキを買ってきてくれるようになったので、それがいい手本になった。ついでに、食べている千春の様子も観察し、好みを探る。
どのケーキがいちばん好みなのか。直接質問しても判断できなかったので、食べ進める速度や一緒に飲んでる茶の進み具合などで比較して考えた。
最終的に、いちばん好んでいそうなチーズケーキを焼くことにする。ギリギリまでガトーショコラと迷ったが、千春はチーズケーキを食べる時色々語っていたのが決め手になった。
千春は、チーズケーキにはたくさんの種類があることや、自分はずっしりとした濃厚なタイプのチーズケーキが美味しくて好きなのだと話していた。なので私は、ベイクドチーズケーキを焼くことに決めた。
チーズケーキも、やはり最初は膨らまなかったり、膨らんでも萎んでしまったり、何度か失敗した。だが最終的に綺麗に膨らませられるようになり、表面も割れず、味も満足いく仕上がりになった。そして、ついにホワイトデー当日を迎える。
その日、私は地下鉄駅の近くの街頭の上にしゃがみ込み、駅の出入り口を見つめていた。家の冷蔵庫には、無事に焼き終えたチーズケーキが保管してある。たったそれだけのことで、まるで急いで空を飛んだように胸が高鳴り、なんだか落ち着かない気分だった。
(……いた)
出入り口の階段から千春の姿が現れる。千春も私の姿を見つけ、こちらに軽く手を振ってきた。私は街頭の上から飛び立つと、千春の側に降り立ち、横に並んだ。
「今日も散歩してたの?」
「……飛ばないと、鈍ってしまうからな」
千春はクスッと笑ってから、「そうなんだ」と言った。
そのまま、二人で家に帰る。家に着いたら、千春が風呂に入っている間に夕食を仕上げる。下準備は済ませてあるので、あとは調理するだけ。今日の主食の牛ごぼうだ。ごぼうは体を温めるし、牛は貧血に良い。
風呂を終えた千春と一緒に夕食を食べ終えた後、私は冷蔵庫から完成品を取り出して、居間で休んでいる千春の目の前に運んだ。
「千春、これを……」
ケーキの乗った皿を、千春の目の前に置く。千春の目が大きく見開かれた。
「えっ、チーズケーキ!? すごい、美味しそう! これもやっくんが焼いたの?」
「……そうなのだ。それで、その……」
「うん?」
「これは、前に千春が私に贈ってくれた、バレンタインのお返しなのだ。……受け取ってもらえるだろうか……」
「あ……! ホワイトデーってこと!?」
私が頷くと、千春が勢いよく距離を詰めてくる。そのまま、抱きしめられた。思考が止まる。
「もう……! お返しのために頑張って練習してたの!? ほんと、やっくんってばかわいすぎ!」
それだけ言って、千春はパッと身体を離す。抱きしめられた感触が腕に残り、何も言えない。
「ありがとう。すごく嬉しい。……せっかくだし、一緒に食べよ」
千春は満面の笑みでそう言うと、立ち上がって台所へ向かう。包丁を取り出すと、こちらに戻ってきた。
「……あ、切る前に写真撮っとこ」
千春はそう言って包丁を食卓に置くと、すまほで写真を撮った。それから、包丁を持ち直す。
包丁の刃が滑らかなチーズケーキの表面に差し込まれ、切り分けられていく。皿に乗せられたチーズケーキは、切り分けられた断面も滑らかで、火の通りは完璧に見える。……味は、どうだろうか。
「美味しいー! まさかお返し貰えるなんて思わなかったし、めちゃくちゃ嬉しい」
「そうか。……味は、どうだろうか」
「すごく美味しいよ! 自分でも食べなよー」
喜んでくれている様子ではある。千春の好みに合うようにかなり試行錯誤したのだが……。
質問しても、千春は「美味しい」「嬉しい。ありがとう」しか返してくれず、ちゃんと好みに合うものになったのかどうかは分からなかった。
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