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第19話 / 全32話
夜中、千春が寝室に引っ込んだ後、すまほを持って戸棚の上に上がった。菓子作りのための情報収集をするためだ。私は次々と知りたい内容をすまほに打ち込んだ。
『クッキー 作り方』
『ケーキ 作り方』
『生チョコ レシピ』
『失敗しない マカロン』
『ホワイトデー 本命』
『お返し 予算』
(……本当に、このすまほという道具はすごいな。知らないことを、こんなに一気に知ることができる。書物を探して開く手間も、時間も必要ない)
そんなことを思いながら色々と調べた結果、まずはクッキーという菓子を作ってみることにした。この菓子は使用する材料がそれほど多くはなく、家にある材料で作れそうだったからだ。作り方も、菓子を使ったことのない初心者であっても、比較的簡単に作れそうだと感じた。練習にはもってこいだろう。
私は戸棚の上から飛び降りると、すまほを台所に置いた。それから冷蔵庫と収納を開けて、必要な材料が揃っていることを確認する。この作り方ではクッキーに使うのは小麦粉、砂糖、バター、牛乳の四種類だ。他の作り方もいくつか読んだが、これがいちばん材料が少なく、やることも単純そうだと判断した。
まずバターを常温に戻す必要があるそうなので、必要量を取り出してボウルに入れる。置いておく間は他の家事をして時間を潰した。しばらくして確認するとバターが柔らかくなっていたので、計量した砂糖と混ぜる。その後さらに小麦粉と牛乳を計量して入れて、混ぜ合わせていく。ここまで、作り方に書いてあった通りだ。
しかし、ここで想定外のことが起きた。手本のように、生地がうまくまとまらないのだ。何故か、生地がパラパラとしてしまう。これでは、次の工程に進めない。
(何か間違ったか……? 計量は合っていたはず。なら、何か必要な手順を見落としたのか?)
一旦、すまほを確認してみる。しかし、特に見落とした部分は見当たらない。私は少し悩んだ末に、少しだけ牛乳を足してみることにした。水分によって生地はまとまり、手本のような形になった。だが、これでいいのだろうか。よく、分からなかった。
完成したら生地は冷蔵庫で寝かせる必要があるそうなので、私は棒状に伸ばした生地をラップにつつみ、冷蔵庫に入れた。
次の日は、千春は夜勤で不在だった。ひととおり家事をこなし、明日の朝に帰ってくる千春のための軽食を作り終えた私は、昨日のクッキー生地を焼いてみることにした。
千春の家にある電子レンジには、オーブン機能が搭載されていた。千春は普段あたためる機能しか使わないが、この機能をうまく使えるようになれば色々作れそうだなと思う。
クッキングシートなるものを敷いて、切ったクッキー生地を並べていく。作り方に書かれてた温度と時間を設定して、スイッチを押す。あとは待つのみだ。
……焼くと、どうなるのだろう。オーブンの中でオレンジ色に照らされるクッキーたちを、じーっと覗き見る。見ていても、特に変化はなかった。けれど時間が経つにつれてだんだん甘い匂いが漂ってくる。少しワクワクした。
設定した時間が来て、オーブンの音が鳴った。適当な布ごしに天板を掴み、取り出してみる。見たところ、それなりに形にはなっていた。だが場所によっては少し焦げてるところもあった。どうやら、生地の薄いところは火が通りすぎるらしい。同じ厚みで正確に切る必要がありそうだ。
試しに一つ、つまんで食べてみる。熱いので箸で。口に入れるとホロホロと崩れる。味は、甘くて素朴でなかなか良い。
(……なるほど。お菓子作りとは、繊細なものなのだな)
その日焼いたクッキーは、おやつとして数日間楽しむことができた。冷めると焼きたてのホロホロ感は消え、サックリとした口当たりになってそれはそれで美味しかった。
私が次に取り組むことにしたのはケーキ作りだった。だが、ケーキ作りには問題があった。焼く時に使う、ケーキの型が家にないのだ。
色々調べた結果、牛乳パックを使ってパウンドケーキというケーキを作るやり方を発見した。ひとまず、それで挑戦してみることにする。
やり方のとおりに材料を混ぜていくと、クッキーの時よりもドロリとした生地がひとまず完成した。一つ懸念していたのが、『ベーキングパウダー』と書かれたものだけが何かわからず、入れることができなかったことだ。調べたら『重曹で代用できる』とあったが、その重曹もなかったので完全にお手上げだった。
出来上がった生地をクッキングシートを敷いた牛乳パックに流し込み、トントンと下に落とす。これで、生地の中にある余計な空気を抜くらしい。今回はクッキーの時とは違い、寝かせる必要はない。早速オーブンで焼いてみることにした。
温度と時間を設定し、生地の入った牛乳パックを天板に置く。扉を閉めて、スイッチを押す。
焼くとどうなるのか。ワクワクしながら中を覗いていたが、今回も、あまり変化はなかった。しばらくして、良い香りだけが漂ってきた。
時間になったので、天板を取り出してみる。しかし、今回は明らかに完成品の見た目が違った。作り方に載っていたものはきれいに膨らんでぱっくりと割れ目がついていたが、目の前の完成品は膨らんでいないし、割れ目もない。
(……やはり、ベーキングパウダーがないと上手くいかないようだな。もしくは、他にやり方があるのかもしれない。……またやり方を調べないとな)
少し冷やした後、包丁で切って一切れ食べてみる。ふわふわ感はないが、味は結構美味しかった。
***
最近、家に帰ってくると部屋の中に甘い香りが漂っている気がする。まるで焼き菓子を焼いた後みたいな甘い香りだ。
夕飯を食べた後、私はこたつに入ってスマホを見ているやっくんに声をかけてみた。
「ねえ、最近何か家で作ってるの? お菓子とか?」
すると、やっくんは慌てたようにこたつから出て飛び上がり、戸棚の上に移動した。……なんで?
「……なぜそれを」
「いや、帰ったらなんか甘い匂いしてるからさ。……本当に何か作ってるの?」
やっくんは小さく息を吐く。それから戸棚から飛び降りるとキッチンに向かい、冷蔵庫を開けて何かを取り出し、こちらに運んでくる。
「これは……?」
「パウンドケーキを焼いてみた。作り方を調べていて……まだ練習中なのだ」
ラップを外すと、皿の上に一センチくらいの間隔できれいにカットされたパウンドケーキが乗っていた。
「ベーキングパウダーが何なのか、よく分からなくてな。今回は卵白をよく泡立てるやり方で膨らませてみたのだ」
「それ、ガチのやり方の方なんじゃ……? 食べてみてもいい?」
やっくんがこくりと頷く。私は一切れを手に取って、一口食べてみた。
「…………」
「……どうだ」
「……なにこれ。めちゃくちゃおいしいんじゃが」
「そうか! それは、色々試した甲斐があったな」
やっくんはほっとしたような笑顔を浮かべた。なるほど、理解した。やっくんは私がいない間、お菓子作りの研究をしているのだ。
やっくんは甘いものが好きだし、クリスマスのケーキもすごく喜んでた。それで、自分でも作ってみたくなったのかも。スマホがあるから、自分で色々調べて色々な料理を楽しんでいる。すごく、いいことだと思った。私はどうしても仕事で不在のことが多いし、やっくんが私がいない間も楽しく過ごせるならとても嬉しい。しかも、こんなに作るのが上手い。私はもう一切れのパウンドケーキを手に取って口に運ぶ。……いやほんと美味しい。やっくんは天才か?
「……何か、作るのに足りないものある?」
「そうだな……ひとまずはベーキングパウダーと、ケーキの型だろうか。泡立て器というものも、あったら便利そうなのだが」
私はポケットからスマホを取り出してAmazonのアプリを立ち上げると、言われたものをカートに放り込んで決済した。
「買っといたよ。明日か明後日には揃うんじゃないかな」
「えっ」
「今度、また一緒にスーパーに行こっか。他にも欲しい材料とかあるでしょ」
「…………」
「新しい趣味なんでしょ? 応援させてよ。それに、私も美味しいお菓子食べられたら嬉しいし」
そう言って笑いかける。やっくんはしばらく黙っていた。少しして、俯きながら「助かる」とだけ言った。
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