読み込み中...
読み込み中...
第23話 / 全32話
日勤を終えて帰宅し、やっくんが作ってくれた夕食を食べ終えた後の夜の時間。私はソファーに座ってスマホの画面を見つめていた。見ているのはユニクロアプリだ。最近少しずつ暖かくなってきたので、やっくんの衣替えが必要だと思ったのが理由だ。
自分の服はある。でも、やっくんの服が全然ないのだ。主に、春に外に着ていく服が足りなかった。
やっくんと出会ったのは秋で、その場しのぎに自分のTシャツやズボンを貸したり、ドラッグストアで適当なTシャツを買い足して凌いでいるうちに寒くなってきたので、冬服を買うことにしたのだ。だから、季節の変わり目に着る服が足りなかった。外に着ていける服を数セット、家の中で着る服も、あと何着か必要だと思った。
スマホの画面をスクロールしながら考える。やっくんに似合いそうな春服は、どんな服だろうか。冬はニットがとっても似合ってたので、きれいめなかんじがいい気がする。春なら、やっぱりシャツにベストとか着せたらかわいいんじゃないか。頭の中で、爽やかにシャツとベストを合わせたやっくんの姿を思い浮かべてみる。……うん、これは絶対に似合う。間違いない。
そして、靴下やパンツなどの下着も一度買ってあげたっきりであることを思い出す。こっちも少し買い足したあげたいな。
私はいくつか候補を決めてお気に入り登録してから、戸棚に座ってバナナを食べているやっくんの方に顔を向けた。
「やっくんー。ちょっと見てほしいものがあるんだけど」
「?」
やっくんは首を軽く傾げた後、残りのバナナを口に頬張った。それから、戸棚から音もなく飛び降りると、ゴミ箱にバナナの皮を捨ててからこちらに寄ってきた。
「なんだ?」
ソファーの肘掛けの上にしゃがむやっくんに体を寄せると、私はスマホの画面を見せた。
「やっくんに春服を買おうと思うんだけど、この中ならどれがいいかなーって」
「……服なら、すでに十分与えてもらっている」
「それは冬用でしょ。これから暖かくなるから、衣替えしないと」
「しかし」
目を逸らして渋るやっくん。……またそんなに遠慮して。なんていじらしいのかしら!
私はソファーの肘置きの上に置かれたやっくんの手を取った。
やっくんの肩が、ぴくりと小さく震える。
「せっかく春になるんだから、装いも爽やかにしようよ。……ね、買わせて?」
やっくんは一瞬息を止めた後、少しして小さくため息をついた。
「……全く。また返すものが増えるではないか」
「なんで? 私、借金して買ってるわけじゃないよ?」
「……いや、もういい。千春の良いようにしよう」
「やったー! あ、でもどれがいいかはちゃんと意見聞かせてね」
やっくんにスマホの画面を見せながら、画面をスクロールしていく。やっくんはしばらく画面を見ながら黙り込んでいた。そして、「これで買い物ができるのか?」とぽつりと言った。
そう言われてみれば、買い物系のアプリはあまりやっくんに見せたことがなかった。Amazonで何度か買い物をしていたけど、その時はいつも私が適当に選んでさっさと決済してしまっていたので、説明する機会もなかった。
「スーパーで買い物をする時は、買い物カートに商品を入れるでしょ? これはアプリだから実際に入れるわけではないんだけど、ここを押すとカートに入れたことになるの。仮想カート、みたいな」
「なるほど……?」
「で、必要なものを入れ終わったらここを押すと、決済画面に移る。いつもスーパーでやってるみたいに、実際にお金を渡す必要はなくて、登録してる情報から勝手にお金を払ってくれる。で、住所も登録してあるから、うちに商品が届けられるんだ」
「……よく荷物が届くあの、尼僧も似たようなものか」
「そうそう。あと、Amazonね」
理解できたようなので、服選びに戻ることにする。私は適当なシャツの商品画面を開き、商品画像や説明文をやっくんに見せる。
「このアプリは服を扱うお店のものなんだ。だから、こういう商品の画像や説明を読みながら決めるんだよ」
「実際に着てみなくてもいいのか?」
「店舗に行けば着られるけど、前に買ったセーターもここで買ったから、サイズ感はだいたいわかるよ。あとは好みとかあれば、教えてもらえたらそれで注文するよ」
やっくんは少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「外で着る物は、動きやすいものが良い。空を飛ぶ時に、動きの妨げにならないように。……それから、逆さまになっても垂れ下がらないものが良い」
逆さまになっても垂れ下がらない? なんだその選択基準。一瞬そう思ったが、私は思い出した。蝙蝠という生き物は洞窟で暮らしており、洞窟の天井にぶら下がって暮らしていることを。何年も前に訪れた動物園の夜行性生物館で、そんな蝙蝠を目にした記憶がある。そして、初めて出会った時にやっくんが最初に着ていたのは作務衣だった。考えてみれば、あれはたしかに、逆さまになっても垂れ下がらない。だから作務衣を着ていたのかと、今更ながら納得した。
先ほどお気に入り登録した品をひとつずつ確認していく。「逆さまになっても垂れ下がらない」という条件を満たした服は、あまりなかった。
「……冬に買ってあげたセーター。あれはどうだった?」
「飛ぶ時の動きには支障はなかった。だが、裾が少し短かったな。垂れ下がりはしないのだが、ずり上がるのが少々不便だった」
「なるほど。……じゃあ薄手のゆるいTシャツとかニット系は却下だね」
私は、該当の服をお気に入りから削除した。
で、私が特に着てもらいたかったシャツとベスト。これはどうだろうか。逆さまになった時のことを想像してみる。私は逆さまにぶら下がることはできないので、大昔に体育の授業で逆立ちした時の記憶を総動員し、脳内シミュレーションする。その結果、そのまま着たらシャツなんかはずり上がりそうだけど、ズボンにインすれば解決するのではないだろうか、という結論に至った。
私は、やっくんにシャツとベストの着方を説明した。ちょうど商品画像でもインして着ているものがあったので、こういう着方であれば問題なさそうだよ、と。やっくんもその説明で納得してくれたようなので、シャツとベストを買う方向で進めることになった。
あとはどの色にするかだ。やっくんは黒を好む。理由は、闇に紛れやすいからだそうだ。
でも、黒いシャツに黒いベストだと、せっかく春なのにあまり爽やかにならない。私としてはそれが少し問題だった。
「……ねえ、ベストは黒にして、中に着るシャツを白とか青にするのはどう? すごく似合うと思うんだけど」
「それだと、腕の部分が目立つ。羽衣を纏っている間は問題ないが、飛ぶ時に見つかりやすくて危険だ」
「そっかー……」
少し残念だが、着る本人がそういうのだから受け入れるしかない。私は黒いシャツと黒いベストのSサイズをカートに入れた。それから、やっくんの方を見て表情を伺いながら口を開く。
「……家の中で着る服なら、白とか青でもいい? 飛ばないから、問題はないよね?」
「そうだな。問題はない」
よし。それなら部屋着で明るい色を取り入れてバランスを取ることにしよう。何のバランスかって? 当然、私の視界に入るバランスだ。私は家の中にいる時でも、視界から春を感じたいのだ。
明るい色のTシャツをカートに入れながら、ふと思いつく。
「そういえば靴は? 靴も必要かな」
「靴は必要ない」
「そう? でも、だいぶ傷んでるんじゃない?」
「靴は履かない」
「……あれ?」
私はこれまで、何度もやっくんと共に夜道を歩いた。でも、やっくんがどんな履き物を履いていたのか記憶になかった。
「……外出る時なに履いてたっけ」
「地下足袋だ」
やっくんはソファーの肘掛けの上から降りて寝室へ向かう。少しして、手に黒いものを持って戻ってきた。それは確かに地下足袋だった。裏も表も、全部真っ黒だ。どうやら、黒すぎて今まで視界に入っていなかったらしい。
「……こういう、スニーカーとかはどう?」
スマホの画面の中のスニーカーを見て、やっくんは首を横に振った。
「屋根に降りたりするからこれが一番いいのだ」
足元に関しては本当に拘りが強いらしく、さすがの私も、やっくんの足元を爽やかにすることは諦めざるをえなかった。
最終的にやっくんの服は外着を上下二セット、部屋着を三セット、下着も三セットずつ選んだ。ついでに自分の部屋着の買い替えも一着カートに入れて決済を済ませた。明日か明後日には届くらしい。本当に便利な世の中である。
二日後。届いた段ボール箱を開けて届いた服をやっくんに着てもらった。
黒シャツに黒ベスト。重たくなるだろうと想像していたけど、実際に着てもらうと思ったよりも良かった。
「後ろ姿も見たいなー。ちょっと、その場で回ってみてくれる?」
「……こうか?」
やっくんは素直にその場でくるりと回ってくれた。軽やかな動きに合わせて、いつも纏っている羽衣がふわりと広がった。
「……か、かわいい!」
「かわいいと言うな」
なんだろう。このかわいらしい顔にこの妙に仕事できそうな雰囲気は。これ、ベストをニット素材じゃなくてスーツ生地にしたら、コスプレみたいになるのでは? 黒手袋も買っちゃう?
止まらない物欲に苦悩する私の姿を、やっくんは不思議そうな顔で眺めていた。
この話はいかがでしたか?
この作品を評価する