読み込み中...
読み込み中...
第7話 / 全32話
朝。カーテンから漏れる朝の光で自然に目を覚ました。今日はよく眠れてとてもスッキリした。ベッドの上に座って伸びをする。
そのまま、視線がクローゼットの方へ向いた。
「…………」
ベッドから立ち上がり、そっと近づく。
クローゼットをほんの少し開けて中を覗くと、いました。すやすやと眠るやっくん。もともと童顔だけど、寝顔はさらに幼い。そして。
(使ってくれてる……!)
昨日クローゼットの片隅に置いておいた夏用の布団の上で、ブランケットにくるまって寝ている。かわいい。かわいすぎる。
もうこれだけで一日頑張れちゃうかも。めちゃくちゃ癒された。
そっとクローゼットを閉めた。
リビングに行くと、床には物一つ落ちていない。洗濯物もきっちり干されてる。完璧に片付けられてる。
キッチンのバナナスタンドに引っ掛けてあったバナナが、ひとつ減っていた。夜中に食べたみたい。かわいい。でも失敗した! 起きてる間に食べてもらえばよかった! 食べるところ、見たかったなぁ。
生ゴミのゴミ箱を開けてみると、包丁で切られたバナナの皮が入っていた。たぶん、剥き方が分からなかったのだろう。起きたら教えてあげよう。
ていうか分別までちゃんとできてお利口すぎる。……人間の男を完全に超えている。
冷蔵庫の中には、昨日やっくんが作ってくれた味噌汁と大根の煮物が残っていた。朝食にいただくことにする。いつも冷凍庫にストックしてる銀鮭を取り出して塩を振り、グリルに入れて点火。あとはソファーに座ってスマホ見ながら休憩しているだけで、朝ごはんが完成した。
二日目の味噌汁と大根の煮物。煮物は昨日からさらに味が染みて非常に美味しかった。焼き鮭は言わずもがな。
食べ終わって食器をキッチンに下げ、コーヒーを淹れる。
習慣でいつもコーヒーを飲んでいるけど、やっくんはお茶の方が口に合うだろうか、なんて。
コーヒーを飲みながら、気の赴くままにスマホで検索する。
『蝙蝠 妖怪』
不気味な存在として語られることが多い一方、縁起の良い存在とされることもある。
『蝙蝠 縁起がいい』
「蝠」と「福」が同音であることから、古くから「幸運を運ぶ生き物」とされる。
富や健康、長寿を象徴するシンボル。
へぇ〜。そうなんだ。確かに私、やっくんが来てから幸せかもしれない。きっと、やっくんが幸運を運んできてくれたんだ。
そのまましばらく蝙蝠のことを検索するのに夢中になった。
「……いけない。買い出しに行かないと!」
残ってたコーヒーを飲み干して立ち上がる。
寝室に行って、クローゼットの前に立つ。
そっと手を伸ばして、静かにクローゼットを開ける。
さっきと変わらず寝てるやっくん。ぐっすり寝ていて全然起きない。かわいいなぁ。
手前にあった服を適当に取り出して、またそっとクローゼットを閉めた。
着替えて、脱いだ服はベッドの上に置いた。
スマホと財布とエコバッグだけを持って家を出て、歩いてすぐのところにあるドラッグストアを訪れた。
昨日作ったスマホの買い物メモを開きながら店内を回る。
まずは歯ブラシと歯磨き粉。それから、洗い替えに適当なTシャツを一枚。そろそろ秋口だし、寒い思いをしないように靴下をニ足。パンツは……Amazonで注文したからとりあえずはいい。それから洗濯物のコーナーに行き、大きめの洗濯ネットを手に取る。作務衣や羽衣を洗うのに、家にあるものでは小さすぎた。大き目のものがいくつかあった方がいい。三つ取ってカゴに入れる。横にあったハンガーの十本セットも入れた。
あとお茶。やっくんは和食を上手に作っていたので、コーヒーよりお茶の方が飲んでくれるんじゃないかと思って。煎茶とほうじ茶と番茶の茶葉を買った。ティーパックのやつ。
お会計七千円。全部やっくん関連グッズ。この間まではコスメとか化粧品とかおやつばかり買っていたのに。あまりの変わりように、ちょっと笑ってしまった。
買い物が終わったらまっすぐ家に帰って、買った物をテーブルに広げた。
歯磨きセットは洗面台に設置。歯磨きようのコップは、元彼が使ってたものを収納から取り出し、よく洗って流用することにした。洗濯ネットは開封して洗濯グッズの収納へ。ハンガーも開封して、室内物干しにかけた。
Tシャツと靴下もタグを取って、畳んでソファーの上に置いた。
……これは、やっくん用の服を入れる収納も要るかもしれない。溢れ出る物欲。止まらない。
その後、適当に昼食を食べてのんびり過ごしてたら、Amazonから荷物が到着した。やっくんのパンツが三セット。開封して畳んで、Tシャツと靴下の上に重ねる。
シャワーを浴びることにした。浴室に行くと、昨日干しておいたふんどしと羽衣は回収されていた。
シャワーを浴びて、髪をドライヤーで乾かし、さっぱりした後顔に化粧を施す。仕事では常にマスクをするから、頬から下は適当だ。眉だけ命かけてる。
夜勤の日は、いつも軽食を食べてから出かけている。今日は、冷蔵庫の中のものやパンなどで適当に済ませた。
出かける前にやっくんの顔が見たいと思った。でも、そろそろ出ないとバスの時間に間に合わない……。そんな葛藤が始まった夕方。寝室から物音がしてハッと顔を上げる。少しして寝室の扉が開き、やっくんが現れた。
「やっくんおはよう!」
「……おはよう」
やっくんは、眠そうに目を擦ってる。Tシャツ短パンの上に黒い羽衣を羽織った姿だった。まっすぐこちらに歩いてきて、ソファーに腰掛ける。……なんだかぼーっとしている。
「……何か飲む? 水とか」
「……もらう」
コップに水を注いで差し出すと、両手で持ってごくごく飲んだ。飲み終わると小さく息をついた。
「ねぇ、やっくん。これさっきAmazonから届いたよ」
パンツを差し出す。
「……尼僧……?」
「違うよ、Amazon! そういう名前の通販サイトなの」
ぼんやりしていた目がぱちっと開く。手が伸びてきて、差し出していたパンツを手に取った。
「……昨日頼んだと言っていたやつがもう届いたのか。飛脚より早いな」
「うん。あとこれも買ってきた。替えのTシャツと靴下。とりあえず洗い替え用ってことで。……今度もう少しちゃんとしたやつを買うね」
やっくんは目を見開く。それから、ほんの少し困ったような表情を浮かべた。
「……やっくん?」
しまった。あれこれ勝手にやりすぎただろうか。ドラッグストアでは7000円。Amazonのパンツも合わせると9000円くらい勝手に散財したからな……。
しばらく間が空いてから、やっくんが顔を上げる。
「……こんなに、ありがとう」
はにかむような笑顔だった。少年の笑顔、めちゃくちゃかわいい。ときめいてしまう。私は勢いよく立ち上がった。
「……今日は仕事だから! そろそろ出るね!」
それから、ふと思いつき、戸棚の引き出しを開ける。中から取り出したものを、やっくんに差し出した。
「これは……鍵か?」
「うん。うちの鍵。私、明日の昼前まで家を空けるから。戸締りよろしくね」
やっくんは、鍵を握った拳をそっと胸に当てた。
「……任された」
私は荷物をまとめると、玄関へ向かう。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい。……気をつけて」
家を出ると、足が速くなる。別に、家を出た時間は遅かったわけでもないのに。
理由ははっきりしている。さっきのやっくんの笑顔がかわいすぎて、完全にテンションが上がりきっているのだ。多分、顔もにやけている。これは、はやくマスクを装着しないと不審者と思われるかもしれない。
そして気づく。バナナの剥き方を教えるのを忘れた。
この話はいかがでしたか?
この作品を評価する