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第11話 / 全32話
やっくんと初めて会ってから、すでに一ヶ月が過ぎていた。
この一ヶ月で、さらに日は短くなり、寒くなった。
リビングにはこたつを出したし、やっくんが寒くないようにクローゼットに置く用の毛布も買い足した。それから、暖かい服も。黒いセーターを着せてみたら、高校生みたいになってかわいかった。
部屋の片隅にはやっくん用の衣装ケースが増えたし、バナナホルダーには常にバナナがストックしてある。
それから、リビング用に照明も買った。床置きで、常夜灯ほど暗くもないけど明るくなり過ぎないやつ。
私の生活リズムも、以前から少し変わった。夜勤明けの日は帰ったらしっかり日中に眠り、夜更かししてやっくんと過ごすようになった。
やっくんの方はと言うと、いつも夕方に起きて、朝になる前に眠っているようだ。
血をあげるのは、週に一回。採血した血をマグカップに入れてあげている。それだけで、やっくんはずっと元気に過ごせるらしい。
週にたった一度の採血。これだけで、やっくんは完璧に家事をやってくれる。こちらから渡すものがこれだけでは気が済まない。だから私は「これはいつものお礼だから」などと言い訳をして、頼まれてもいないのについやっくんに色々買ってあげてしまう。これを何かに例えるなら、推し活が一番近いかもしれないと思った。
今日は日勤の日。西陣記念病院の休憩室で早めの昼休憩をとっていた。私の後から休憩に入ってきた美咲が、弁当をつつきながら話しかけてくる。
「千春ー。そろそろ次行かへん?」
「次って?」
「次の彼氏! もうすぐクリスマスやろ」
「あ〜、もうそんな季節かぁ。早いねぇ」
「もー、のんびりしとったわ。合コン行くで、合コン」
「え」
「急なんやけど、明日誘われててな。あと一人足りひんらしいから、千春も参加って伝えとくわ!」
えー……。
その日帰宅すると、やっくんはいつも通り起きており、キッチンに立っていた。
部屋に入った瞬間、煮込みの良い香りが鼻をくすぐる。
「おかえり千春。今日は肉じゃがだぞ」
そう言って、やっくんは当たり前のようにテーブルに料理を並べ始めた。
私がやることといえば手を洗って、部屋に荷物を置いて着替え、すっかり支度の整ったテーブルの前に座ることのみだ。
仕事をして帰ってきたら自動的に食事が出てくる。一人暮らしのアパートが、まるで実家になったみたい。しかもやっくんは目の前に行儀良く座って、一緒に食べてくれるのだ。
……明日は、この癒しがないのか……。
そう思ったら、つい大きなため息が口から出た。
「……千春、どうした。何か嫌なことでもあったのか」
目の前に座るやっくんが箸を止め、少し心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる。私は首を横に振った。
「明日、合コンに誘われたんだけど、正直面倒くさくって。行ったら行ったで楽しいんだろうけどねぇ」
「ごうこん?」
「ええと、女の人たちと男の人たちのグループとが集まって、一緒に食事するの。友達とか恋人探しってかんじ。職場の同僚に、一緒に行こうって誘われたんだよね」
「…………」
肉じゃがを咀嚼しながら、返事がないことに違和感を覚えた。視線を上げると、やっくんは目を見開き、そのまま固まっている。私は、口の中のものを飲み込んだ。
「……やっくん?」
「……そうか」
少し、間が空いた。やっくんは何かを飲み込むように、軽く息をつく。それから、口を開いた。
「千春は人間だからな。良い相手が見つかるとよい」
それだけ言って、やっくんはまた箸を動かし始める。
「うん。……それでね、明日は夜帰らないから。夕飯は要らないよ」
「うむ。承知した」
その会話の後、私とやっくんはいつもより静かだった。
***
目を覚まして、物置から出る。
物置の目の前には、千春の寝床がある。寝床の上には、いつも脱いだままの服がそのままになっている。
私は少しの間それを眺めたあと、部屋を出た。
静まり返った居間。私はいつものように台所に向かい、まな板と包丁を取り出した。冷蔵庫を開けて、中から野菜を取り出そうとしてから気づく。
「……今日は、夕餉はいらぬと言っておったな」
静かに冷蔵庫を閉めて、そのまま立ち尽くす。それから、包丁とまな板を元の場所に戻した。
夜の間に家事はすべて終わってる。千春は帰ってこない。つまり、することがない。
私は飛び上がって、壁際に置かれた戸棚の上へ移動した。羽衣を纏ったまま戸棚の上でしゃがみ込む。
そのまま、時間だけが過ぎていく。日が完全に沈み、部屋の中もすっかり暗くなった。
私は、千春にこの家の守りを任された。だから、ここにいる。それだけのはずだ。
だが、一人でいると別の考えが頭に浮かんできた。
家を守ったとしても、そもそも家の主を守れなければ意味がないのではないか、と。
今の季節は冬。本来であれば、私は外に出るべきではない。
けれど、女子一人で夜道は危険だろう。
……少し、様子を見るだけ。
私は、戸棚の上から飛び降りた。そして、羽衣の下、いつも着ている千春から与えられた衣を見下ろす。私は寝室へ向かい、千春が用意してくれた収納から黒い作務衣を取り出して身につける。その上から羽衣を纏った。
脱いだ衣を畳んで収納の上に置くと、玄関へ。そのまま外に出て、鍵を閉めた。
外に出た私は、闇に紛れながら夜空に飛び上がる。飛んでいるうちに羽衣は私の体と一体化し、本来の姿に戻っていた。
住宅街と線路を通り過ぎる。途中、街灯や電柱の上で羽を休めながら進み、ビルの上へ。高いところから眺めると、下の様子がよく分かる。
……見つけた。
ガラスの窓際に、千春が座っていた。
目の前の男と話しながら、楽しそうに笑っている。
「…………」
楽しそうで、何よりだ。そう思おうとした。でも、無事が分かって安心したはずなのに、帰れない。足が動かない。
私は何をしている?
守り神としての役目は、もう十分果たしたはずだ。
……なぜ帰れぬのだ。
私は踵を返す。そのまま一歩、二歩と歩みを進め、止まった。振り返ると、窓越しに笑う千春の姿があった。
結局その日はそのまま、ビルの上からずいぶん長い間、千春の姿を見続けた。
しばらくして、千春が店を出てきた。男と別れて駅へ向かう。
人通りが多いが、危険はない。問題ない。
……それでも、もう少しだけ。
***
私は店の前で解散した後、終電に乗って家に帰った。
玄関の鍵を開けて、家の中に入る。
「ただいまー」
「おかえり、千春」
見ると、やっくんはこたつに入っていた。
「楽しかったけど、寒かったし疲れたー」
そのまま私もリビングのこたつに潜り込む。
いつもの匂い。いつもの灯り。目の前にはやっくん。落ち着く。私はこたつのテーブルの上に頭を乗せて、ゆるりと目を閉じた。
静かな部屋に、冷蔵庫のファンの音だけが小さく響く。
しばらくして、ふと視線を上げると、やっくんと目が合った。
「今日、何してたの?」
「……家を守っておった」
「あはは。自宅警備員だ」
「……どうだった」
「合コン? うーん。いい人達だったけど、なんか違ったかも」
「……そうか」
「うん。やっぱり家が一番落ち着く!」
そう言うと、やっくんは何故か少しだけ目を逸らした。
「……小腹は空いていないか。握り飯なら作れるが」
「えっ! 本当に!? 食べる食べる!!」
やっくんは静かに立ち上がり、台所へ向かった。
その背中を見送りながら、私はほっと息をつく。
やっぱり家が一番だ。
「……あれ? やっくん、今日は作務衣なんだ」
やっくんが一瞬固まる。
「……たまには」
それだけ言って、炊飯器の蓋を開けた。
飲んだ後のシメが、やっくんお手製のおにぎり。
間違いなく、人生の中で最高のシメだった。
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