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第10章 覚悟 / 第306話
一睡もできなかった。涙を流しすぎたせいで瞼が腫れぼったい。朝一番で私の顔を見に来るクラウでさえ、鳥が鳴き始めた今でも姿を見せない。彼もまた塞ぎ込んでいるのだろう。
リアナが暖炉の薪をくべに来た時も、無視を決め込んでしまった。ベッドから抜け出す気力もなく、溜め息を吐く。
気分はあの呪いを受け継いでしまった時に似ている。でも、あの時はまだ呪いは解けるかもしれないと仲間が希望を持ち続けてくれていた。今回の寿命宣告は、その希望すら見出せない。
まだ二十年も先の話――なのに、目の前に立ち塞がる闇は何なのだろう。
「ミエラ」
ノックの音と共に聞こえたのはヒルダの声だった。こちらに歩み寄ってきて、そっと私の肩に触れる。
「何があったの?」
他人に話してどうにかなる問題ではない。軽く首を横に振り、毛布を握り締める。
「無理には聞かないけど、話したいと思った時に話してくれていいからね」
ヒルダも、レオニスもキャサリンも、厳しいけれど優しい。それだけに、真実は伝えられなかった。ううん、ずっと伝えない方がいいだろう。みんなが傷付く姿は見たくない。
「ご飯だけでも食べよう? 元気が出るものも出なくなるから」
食欲なんて出るはずもない。一方で、クラウの様子は確認しておきたい。なんとなく頷き、ベッドから起き上がる。
着替えもせずにヒルダの後ろを歩き、ダイニングまで来てしまった。扉の向こうには、クラウ、レオニスとキャサリン、それにセドリックまでもが集まっている。クラウは赤く腫れてしまった目で私を見ると、そっと俯く。その様子に、他の四人は溜め息を堪えているように見えた。
レオニスは僅かに微笑むと、口を開く。
「ミエラ、おはよう」
「おはよう……ございます……」
「眠れなかったのか?」
「はい……」
ヒルダに促され、クラウの隣に腰を下ろす。私を見る青と銀の瞳は大きく揺れていた。
「二人とも、食べられる分だけでいいからな。だが、一口だけでも食べなさい」
レオニスは事情を深くは知らないはずなのに、凛と声を張る。それを合図にパンをちぎってスープに浸し、口に押し込む。これは何のスープなのだろう。味が分からない。
クラウもパンを一口だけ含むと、食事の手を止めてしまった。
「クローディオ、ポテトサラダは食べないんですか?」
「そんな気分じゃない」
セドリックの質問にもボソボソと返す。
誰かが話し始めるでもなく。静かな食卓は進む。もう一口パンをいただいたけれど、やはり味は分からなかった。
「……ご馳走様でした」
これ以上ここにいても気まずいし、何より頭を休めたかった。手を合わせ、口を結ぶ。すると、クラウの手が私の手首をつかんだのだ。
「俺、ミエラと二人で話がしたい」
いつもよりも声量は小さい。それでいて、緊張感のある声だ。
「……私も話したい」
自分でも、何も告げずに離れるのは違うと思う。それに、私が自分の知らないところで傷付いているのは嫌だとクラウに言われたばかりなのだ。クラウに手を引かれるまま、ダイニングを後にした。
部屋に入ると、ソファーに座って俯く。最初に口を開いたのはクラウだった。
「きっと、俺のせいで縮まった寿命のことも聞いたんだよね」
やはり、見抜かれていたか。まっすぐに私を見る瞳から逃れる術がなく、揺れる視界で返す。
「どれくらい?」
遠回しな言い方をせず、一直線に聞いてくるのはクラウらしいな、と思ってしまった。私も回りくどい言い方はしたくない。
「三年……だって」
なんとか言い切ると、ようやく視線を外すことができた。震える拳を握り締める。
クラウは苦しそうな声を上げると、私の拳に自身の手を乗せた。
「ごめんね」
「ごめん」
私とクラウの声が重なる。
「どうしてミユが謝るの?」
「だって、また……」
そこで言葉が途切れてしまった。また貴方を置いて逝くから。反応が怖くて言えない。
その先の言葉を理解してくれたのか、クラウは僅かに微笑んだ。
「俺は大丈夫だよ」
違う。大丈夫ではないことは私が一番知っている。拳を開き、クラウの手を握る。
「今回は二十年も一緒にいられる。思い出だってたくさん作れる。それがきっと、俺を生かしてくれる」
今日だけは強がりなんて言わないで欲しい。私が真剣な顔を向けると、クラウは「うーん」と小さく唸る。
「リエルが足りなかったのは、きっとカノンを亡くす覚悟だったんだよ。何も知らされないで、一瞬で消えていったから。だから、あんなに引き摺ったんだ」
「それは……」
返す言葉が見つからない。カノンがよかれと思ってした行動が、リエルを苦しめていたのだ。そう、百年も。
「だからさ。俺は大丈夫」
にこっと笑ったクラウの表情が、頭に残って離れなかった。
覚悟が足りなかったのは、私の方なのかもしれない。
ライアンがクラウの部屋に訪れたのは、昼近くだった。封書を二枚持ち、さっと私たちに差し出す。
「ブラストン伯爵夫妻からです」
アレクとフレア――心が一瞬だけ温かくなった。
クラウと二人でそれを受け取ると、黄色の封蝋をそっと剥がし、便箋を取り出す。
* * *
ミユへ
久しぶりだね。元気してた? って書きたかったけど、そんなはずないよね。
折角、サファイアに慣れてきた頃にあんな事件があったんだもん。誰だって心折れちゃう。
でも、エメラルドに帰らなかったミユは凄いよ! あたしだったら、アレクに一緒にガーネットに帰ろうって頼んじゃいそう。
ミユはよく頑張ってる。
そうだ! あたしたち、猫を飼い始めたの。サラっていう茶トラの美人さんだよ。
使い魔と同じ名前にするなんて、ミユに笑われちゃいそう。だけどあたしたち、それ以外に名前思い付かなくて。そのままサラにしちゃった。
また手紙を書くね。あたしたちのことも、サラのことも。
ミユとクラウからの手紙も待ってるからね。
フローリア・ウィンスレットより
* * *
ミユへ
事件のことはクラウから聞いた。
大丈夫か? っつっても、大丈夫じゃねぇよな。
オレらが傍にいてやれればいいんだけどよー、そんなわけにもいかねぇし。
ちゃんと食うもん食ってるか? 優しくしてもらってるか?
何かあったら、すぐに手紙を書いてくるんだぞ?
……なんか父親からの手紙みたいになっちまったな。
ミユは今でもオレらの仲間だ。気兼ねなく頼ってこい。
アレックス・ウィンスレットより
* * *
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