読み込み中...
読み込み中...
第11章 婚約発表 / 第309話
長閑な日を取り戻してから数週間が経過した頃だ。朝食の席で、レオニスの第一声は発せられた。
「まずいことになった」
その銀の瞳はキャサリン、クラウ、そして私へと向けられる。一斉に食事の手は止まる。
「ミエラの滞在が外に漏れている」
「えっ?」
レオニスのその一言で心臓が飛び跳ねた。キャサリンは目を見開き、レオニスを見る。私の心臓も妙に脈打っている。
「どうして? このことを知っているのは、私たちだけでしょう?」
「スケート大会でミエラをリリーの隣に座らせただろう? その時に気付かれたらしい」
たったそれだけで。今さら言っても取り返しはつかないのだけれど、大人しく使用人席に座っていれば、と瞬間的に思ってしまった。
「スチュアートを信じすぎた私にも非はあるが……」
「スチュアートはミエラを思ってやってくれたでしょう? 悪く言うのはやめましょう?」
「ああ……」
レオニスは頭を抱え、すっと息を吸い込む。次にその鋭い瞳は私を向く。
「ミエラ、婚約発表を早める。異論は聞かない」
「……ダンスはどうするの? まだワルツとカドリールを教えたばかりですよ?」
キャサリンは眉間にしわを寄せ、レオニスに抗議する。これには私も同意してしまった。何度か頷き、レオニスを見る。
「当日はその二つで乗り切るしかない。いいか? これはミエラの存在を世に認めさせる儀式だ。失敗は許されないぞ」
「分かってる」
一方で、クラウは決意を固めたらしい。力強い瞳をレオニスに向けている。
私には不安しかない。ダンスの知識も不十分、貴族の名前も覚えられていない、何か起きても自分で身を守る術を身につけていない。ないない尽くしなのだ。
思わずクラウの手に自分の手を重ねてしまった。
「私……自信ない」
「大丈夫だよ。隣には俺がいるから」
この人はいつもそうだ。『大丈夫』という言葉で全てを解決できると思っている。それなのに、文句が言えない。私を見る瞳がいつも以上に優しかったのだから。
「猶予は一週間だ。一週間で、できる限りのことをミエラに叩き込む」
「……分かりました。こちらもそういう心積もりでいますね」
やはり、大事なことはレオニスとキャサリンの主導で決まってしまう。何もできなくて、歯痒くて仕方がない。これから始まるであろう鬼のような花嫁修業に顔を歪ませるしかなかった。
朝食の再開後から三人の顔つきは変わった。それにヒルダが加わる。私のフォークが無作法に音を鳴らせば、鋭い視線が刺さる。廊下ですれ違う時に背中が丸まっていれば声が飛ぶ。私の口癖である「あの」「その」が出れば溜め息を吐かれる。寝る時しか心の休まる時間がなかった。
その中で、私の衣装合わせがあった。大嫌いなコルセットを着せられ、私の左目と同じ緑のドレスを何着も試着させられる。それだけで私の身体は凝り固まってしまった。目が回るような感覚を覚えながらも、なんとか足を踏ん張る。
「ミエラ、どのドレスがいい?」
キャサリンとヒルダは着せ替え人形を見るかのように目を輝かせながら、私の意見を求めた。
「私は……レースが付いてる可愛いドレスが好きでした」
「ああ、あれね」
キャサリンはもう一度私にそのドレスを着せ、じっくりと見定める。ヒルダも唸り声を上げる。
「可愛いね」
「ええ。似合っていますね」
ドレスだけは譲れない。意地でも意見を通す。そう腹をくくっていただけに、すんなりと認めてくれた二人に肩の力が抜ける。
「ミエラがいいなら、これにしよっか」
「そうですね」
二人にようやく笑顔が戻る。胸元や袖口、腰の切り返しの部分など、要所要所に薄緑色のレースがあしらわれている深緑のドレスだ。可愛らしいけれど大人しめで、主役には相応しくないかとも思った。でも、私の好みはお姫様のようなドレスではなく、ちょっぴり控えめなこのドレスなのだ。
「……次期公爵夫人には似合わないドレスですね」
小さく呟かれた仕立て屋の女性の声が耳に残った。
* * *
リアナにメイクを施してもらい、ドレッサーの前で深呼吸をする。
「ミエラ様、いいですか? まっすぐ前を見て、背筋を伸ばすんです」
「分かってるよ~」
リアナに言われなくても、キャサリンやヒルダに何度も叩き込まれた。落ち着いて、堂々と、威厳のある姿を見せる――それが一番大事らしい。
そして、リアナの言葉に違和感を覚える。
「リアナ。私のこと、何て呼んだの?」
「ミエラ様、ですか?」
「それだよ~!」
今まで、リアナは私のことを『ミエラ嬢』と呼んでいた。『嬢』ではなく『様』なのだ。一気に立場が変わった気分になる。
「変なの~」
「何も変ではありませんよ?」
鏡の中で私を見るリアナの瞳は至って真剣だ。
今日が節目であることは分かっている。クラウの婚約者として世に認知され、社交界デビューをし、サファイアという国で生きる覚悟を固める――そういう日なのだから。でも、私の気持ちは何も変わっていないのだ。
仕立て屋にサイズを直してもらったドレスを纏い、髪もまとめ上げる。そこに煌めく緑の髪飾りを着ければ準備は万端だ。身なりだけは。
「駄目……。緊張する……」
何度、深呼吸をしても鼓動は激しく脈打ち続ける。口の中はカラカラだ。手には汗も掻いている。
胸に手を当てる私を見て、リアナも深呼吸を始めた。
「どうしてリアナまで?」
「……教えません」
リアナはくすっと笑うと私の肩を軽く叩いた。タイミングよく、扉がノックされる。
「ミエラ様、出番です」
メイドの声に、心臓が口から飛び出しそうになった。もう逃げられない。行くしかない。瞼を閉じ、もう一度深呼吸をする。
「リアナ、行こう」
リアナの返事も聞かずに踵を返す。私は次期公爵夫人として認められるだろうか。不安を抱えたまま、先に会場入りをしているクラウの元へと急ぐ。
この話はいかがでしたか?
この作品を評価する