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第11章 婚約発表 / 第310話
開け放たれた扉の向こうには、静まり返った会場があった。人で埋め尽くされているのに、誰一人口を開こうとする者はいない。視線が私に集中している。
「ミエラ、おいで」
会場の奥――壇上でクラウは私に手を差し伸べた。柔らかい太陽のような微笑みに、令嬢たちの驚きの声が一瞬だけ上がる。
正直に言うと、手を取るのが怖い。逃げ出したい。拳まで作ってしまった。――ううん、違う。自分が変わってしまいそうで嫌なのだ。
私はルーゼンベルクにいたい。この幸せを壊したくない。それならば、怖がっている場合ではない。まずは一歩を踏み出そう。
生唾を呑み込み、貴族たちが見守る中を静かに歩く。しゃんと背筋を伸ばして堂々と。見くびられないように。
やっとのことでひな壇まで辿り着くと、クラウの手を取って隣に並んだ。
同じく壇上にいるレオニスの声が会場に響く。
「見ての通り、クローディオと同じ元魔導師様だ。この婚約に異議がある者は申し出でよ」
会場はしんと静まり返ったままだ。
「これをもって、ミエラは正式にルーゼンベルクの一員となる。先の事件を知らぬ者はいまい」
レオニスの声色が変わった。言葉の節々が硬く、冷たい。
「同じような事件は断じて許さない。ミエラをはじめ、ルーゼンベルクの者に手を出したら命はないと思え」
これはきっと、警告ではない。レオニスなりの、家族を守るという宣言なのだろう。そう思うと胸がじんわりと温かくなる。
「……と、まあ、堅苦しくはなってしまったが、ここは祝いの場だ。皆で語らい、楽しもうではないか」
レオニスが指を鳴らすと、華やかなクラシック音楽が流れ始めた。会場の空気が温かなものへと変わり、貴族たちの間で会話が増えていく。
ここからは自由行動だ。ひとまず私はクラウについて回ろう。彼は視線を浴びたまま私の右手を握ると、早速セドリックとヒルダの元へ向かった。ヒルダは待ちきれないと言わんばかりに駆け出し、私に抱きついてくる。
「ミエラ、よかったねぇ!」
「おめでとうございます」
セドリックもヒルダの隣で優しく微笑んでいた。
ヒルダは身体を離すと、潤ませた瞳で私を見る。
「リリーのところに行っておいで」
前方に視線を移すと、必死に私の視界に収まろうとするリリーの姿があった。隣にはスチュアートも佇んでいる。
「ミエラ~」
その可愛らしい声に応えないわけにはいかない。クラウと頷き合い、リリー・スチュアート夫妻の元へと歩み寄った。
「クローディオ、よかったな」
「うん」
二人の柔らかな会話に、会場にいる令嬢たちが色めき立つ。やはり二人が並ぶと、この世とは思えないほど綺麗な従兄弟なのだな、と感心してしまう。
早速リリーは私の手を握り、軽く揺する。その間も視線は私とは別の方向を見ている。
「マーガレットを紹介するね。私の妹なんだけど~」
リリーの視線を辿ると、彼女にそっくりな金髪碧眼の少女がこちらを見ていた。とはいえ、リリーは穏やかな丸い瞳なのに対し、少女は若干つり目だ。
「マーガレット、こっちに来て~」
「仕方ないなぁ」
少女――マーガレットは小さな溜め息を吐くと、こちらに近付いてくる。その後ろには、興味津々と言った様子の若い令嬢がぞろぞろと控えていた。
「……ミエラ、だっけ? よろしく」
マーガレットはそれだけを言うと、なんと自分の席へと戻ってしまった。リリーとは性格が真逆だ。呆然とマーガレットを見ていると、視界には令嬢たちの顔が次々に映り込む。
「ミエラ様、だよね! クローディオ様とお会いになったのは魔導師様になってから?」
「どっちから告白したの?」
「って言うか、どうやってクローディオ様を振り向かせたの?」
もはや、日本の芸能人を囲んでいる記者のようだ。どこから答えていいか分からず、言葉に詰まってしまった。
そこへリリーが割って入る。
「ちょっと、スト~ップ! まずは……アンジェラから!」
リリーに指を差された令嬢は、恥ずかしそうに俯きながら口を開く。
「……クローディオ様が初めてミエラ様に微笑みかけた日はいつ?」
『えっと』『あの』は使ってはいけない。代わりに「ん~……」と声を上げ、クラウと出逢った当時のことを思い返してみる。
「初めて会った日には笑ってくれたよ」
「えーっ!?」
途端に、次々に悲鳴にも似た驚嘆の声が上がった。
「ありえない……! あのクローディオ様だよ!?」
「何でミエラ様にだけ!?」
「いーなー! 羨ましい!」
やはり、世間ではクラウが笑う姿でさえ貴重らしい。
憶測や羨望が飛び交う中、奥から「退けて!」という女性のどすの利いた声が聞こえてきた。その人たちは令嬢たちを搔き分け、リーダーと思われる黒髪の女性は腰に手を当てて私の目の前にずんと立ちはだかる。
「エメラルドの伯爵令嬢だとか、元魔導師様だとか、そんなの私にはどうでもいい。私は貴女を許さない」
彼女は鋭い目つきで私を指さす。
「結婚なんてさせないから! 何で貴女が……! 何で貴女なの……!」
歯を食いしばり、スカイブルーの瞳から一粒の涙が零れ落ちる。
彼女を泣かせたのは私、なのだろうか。でも、理由が分からない。
彼女の隣に立つ令嬢は、神妙な面持ちでその人の背中を優しく撫でる。
「イライザ様、頑張ったよ。もう行こう」
気が付けば、私を取り囲んでいた令嬢たちの反感を買ったのだろう。皆でイライザと呼ばれた女性たちを睨みつけている。
退散し始めた五人は私に鋭い目を向け、会場の奥へと消えていった。
「ミエラ様、気にすることないよ」
「でも……」
気にするなという方が無理がある。首を横に振る私に、目の前の令嬢は唇を噛み締めた。
「イライザ様とは仲良くしようと思っちゃ駄目だよ」
「だね、無理だよ。だって……」
小首を傾げる私を令嬢たちは真剣な瞳で見詰める。
「だって、イライザ様はフィスラ侯爵令嬢だから」
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