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第10章 覚悟 / 第308話
眠れない。身体が震えてしまう。深夜に、たまにこういうことが起きるようになった。誘拐犯は捕まっているし、ここは本邸だから襲われる心配なんてないはずなのに。
一定時間が過ぎると眠りに落ち、いつの間に朝が来ているので、生活に支障は出ていないのだけれど。レオニスとキャサリンには言えずにいる。余計な心配は掛けたくないという思いが先行してしまう。
何度か深呼吸をし、再び瞼を閉じる。冷静になりたいのに、頭は働いてしまう。あと二十年の命――大丈夫、私にはクラウも、アレクも、フレアもいる。私は一人ではない。それなのに、今日のクラウの笑顔を思い出すと涙が溢れてしまうのだ。
たった二十年で、私は何ができるのだろう。
考えを巡らせているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。エントランスで鳴っている振り子時計の音で目が覚めた。暖炉には火がついており、部屋は暖かい。時計を見てみれば、針は十時ピッタリを差している。
「十時……」
寝ぼけ眼で何度も確認しても、時計の針は動かない。
「十時……!?」
今日はまさに十時からヒルダと一緒に刺繍をする予定だったのに。寝坊で待たせてしまうなんて、とんだ失態だ。
ベッドから跳ね起きると同時に、ノックの音が響く。
「ミエラ、起きてる?」
「は、はい……!」
ヒルダの声に返事をした後で気がついた。まだナイトドレスではないか。着替えようにも、メイドがいないのではドレス自体がない。
「入るよー?」
程なくして扉が開かれる。
「お、おはようございます……!」
気付いた時にはヒルダに向かって頭を下げていた。
「どうしたの? そんなに慌てちゃって」
「だって、お姉様が来てくれるのに寝ちゃってたから……」
「そんなの気にしないで」
私の失敗をヒルダは簡単に笑い飛ばす。そのままソファーに落ち着いてしまった。私の顔をちらりと見ると、眉尻が下がる。
「まだ落ち込んでるの?」
「は、はい……」
「そんなに落ち込んでるとなると……神様関係かな?」
「えっ……?」
私たち以外に、元魔導師と神の繋がりを知っているのは国王だけでは――わけが分からず、その場に立ち尽くしてしまった。
私の様子を見ると、ヒルダは小さく笑う。
「ほら、お母様って前女王の妹でしょ? だから、私も持ってるんだよ、王位継承権」
私の衝撃を代弁するかのように、暖炉の薪が音を立てて崩れる。では、ヒルダは寿命のことまで知っているのだろうか。
国王たちは魔導師名である『デュ』の名の意味を知っていた。『デュ』は『神』を意味する――私たちも最近まで知らなかった事実を、この人は知っているとでもいうのだろうか。
「そんなに怖い顔をしないでよ。ほら、ミエラもこっちにおいで」
まるで自分の部屋であるかのように、ヒルダはソファーを何度か軽く叩く。
「今日は刺繍どころじゃないよね。ちょっと話をしよう……っとその前に」
私がソファーに腰掛ける前に、ヒルダはテーブルの上のベルを振り鳴らす。間を置かず、メイドが一人、部屋へ到着する。
「クローディオを呼んできてくれない?」
「かしこまりました」
クラウまで呼び出すなんて、どういう算段なのだろう。真意が見えず、去っていくメイドとヒルダを見比べた。
「あの……お姉様?」
ヒルダは微笑むだけで、何も答えてくれない。クラウを待っているうちに用意された紅茶を嗜み、遠くを見詰めているようだった。
そして、扉は開かれる。
「ミエラ、姉さん、おはよう」
寝起きのように呟かれた方を見てみる。クラウもナイトウェアのままで、目は赤く腫れていた。
「クローディオ、ちょっと話でもしようよ。ミエラの隣に座って」
「うん……」
ヒルダは私の隣を離れると、対角のソファーに座り直す。その空席を埋めるように、クラウが私の隣に腰を落ち着けた。
「二人とも、喧嘩したわけじゃないんでしょ?」
「喧嘩なんてしてないよ」
「じゃあ、何で二人揃ってそんなに落ち込んでるの?」
これは私たち元魔導師の問題だ。そう思うと同時に、誰かに話を聞いてもらいたい気持ちも芽生える。私たちだけで背負うには重すぎるのだ。
クラウの顔を見上げてみると、困り顔がこちらを向いた。
「……姉さんには関係ない」
「そう」
クラウの反発もヒルダはまったく気にしない様子で、もう一口紅茶を含んだ。
芳醇な紅茶の香りが部屋を暖かく包み込む。
「私が話せるのは推測だけど……でもね? 二人とも、ここで立ち止まるのは――」
「立ち止まってなんかない。俺たちは前に進もうと――」
「あのね、クローディオ。人の話はちゃんと聞きなさい」
そういうヒルダだって、クラウの発言を遮っているではないか。ちょっとだけ矛盾を感じてしまったけれど、胸に仕舞い込む。
「私は立ち止まることも必要だと思うんだよ。生き急いだっていいことはないもん。ちゃんと考えて、二人で納得して、前に進みなさい?」
私たちの心に余裕がないことを、ヒルダは見抜いていたのだ。胸が飛び跳ねたものの、悪い気分ではない。
「私はお母様と話してくるから。話すなら今のうちだよ」
ヒルダはにこっと微笑むと、お淑やかに部屋を出ていってしまった。静かに扉が閉まる。
予想外にクラウと二人きりにされてしまった。でも、これはチャンスかもしれない。私の気持ちをクラウに知ってもらいたい。
「あのね? 考えてみたけど……私、やっぱり怖い」
「……俺も。昨日は強がっちゃった」
クラウは「へへ……」と苦笑いをしながら片手で頭を掻いた。
「ミユとずっと一緒にいたい。俺は、おじいちゃんになって、おばあちゃんのミユと二人で長閑に紅茶を飲むのが夢だった。でも……叶いそうにないや」
「私……何十年後かにエメラルドが復興したら、元魔導師排除派がいなくなったら、クラウと二人でエメラルド旅行がしたかった」
クラウの夢は現実にはならないだろう。私の夢だって、叶えられるか分からない。
私たちは大きい夢を持ち過ぎていたのだろうか。クラウと再会できて、気持ちばかりが大きくなってしまったのだろうか。
「俺はさ、叶わない願いも含めて、全部で俺だと思うんだ。だから、夢は変えなくてもいい。夢見るくらい、罪にはならない」
「……うん」
「ただ、人生最後の日になったら、ああ、いい人生だったって笑って終わりにしたい。そのためには、ミユの力が必要なんだ」
青と銀の力強い瞳がこちらを向いた。私もまっすぐに視線を向ける。
「世界の誰にも負けない、温かい家庭を築こう」
クラウの言葉にしては抽象的で、少しだけ返事に時間が掛かってしまった。結婚したり、子供ができれば私たちの思い出は何倍にも、何十倍にも膨れ上がるだろう。そして何より、私たちのことを覚えていてくれる存在が生まれるのだ。
「うん」
今日一日を大事にして生きていければそれでいい。思い出が頭に入りきらなくなるまでクラウの傍を歩き、素の笑顔でいられる時間を増やすのだ。
少し先の未来の目標を立てるだけで、不思議と生きる理由に繋がっていく。私は今まで通り、大切な人と寄り添って生きていければ十分だということに気がついた。
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