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第12章 サファイア旅行 / 第312話
「……ミエラ! ミエラ!」
誰かが私を呼んでいる。身体も揺さぶられている気がする。
ぼんやりと瞼を開けると、視界いっぱいにクラウの顔が映った。一気に目が覚める。
「旅行に行くよ! 早く着替えて!」
まるで遠足に行く小学生のように、クラウは無邪気に笑う。
「今、何時?」
「六時だよ!」
「ふわぁ……」と欠伸をし、そろそろと起き上がる。クラウの後ろにはルーナも控えていた。にっこりと微笑み、緑色のドレスを手にしている。
「分かったから、ちょっと待って~」
「六時半には出発しよう。すぐ日が暮れちゃうから」
「うん……」
もう一度、大きな欠伸をする。
昨日の就寝時刻は結局、午前二時を回っていた。よくあんなに元気に起きられるものだとクラウに感心してしまった。
クラウが出払ったことを確認し、ゆっくりとナイトドレスを脱ぐ。
「もう、子供みたい……」
「いいじゃないですか。クローディオ様があんなにはしゃがれるのは、ミエラ様の前でだけですよ?」
そう言われると、何も言い返せなくなる。あの無邪気さに惹かれた私にも原因があるのだから。
フリルの付いた可愛らしいドレスを身に纏い、髪を束ねようと手を伸ばす。そこでリアナに制止された。
「今日はクローディオ様にお願いされた髪型にしてください」
「えっ?」
もしや、昨日の髪形を気に入ってくれたのだろうか。リアナにされるがまま、髪を整える。
その髪型は、これまで私が避けてきたものだった。
「お似合いですよ」
リアナは笑うけれど、鏡に映る私の口元は引きつってしまった。前髪は若干違う。でも、カノンと同じハーフアップ――こんな私の姿を見て、クラウはつらくはないのだろうか。
そんな心配をよそに、当の本人は満面の笑みで私を再び迎えに来たのだった。
「ミユ、似合ってるよ」
それだけを言うと、私の手をしっかりと握る。その手は離されぬまま、二人で馬車へと乗り込んだ。
* * *
約束していた旅行先は、『白いリボンと緑の鳥』の舞台になったスカイブ湖だ。湖の畔には町も広がっているらしい。初めて見る土地に、胸の高鳴りが止まらない。
数時間後にぽつりぽつりと現れ始めた民家は、まるで尖った鉛筆のようなシルエットの建物だった。木組みの柱にベージュの壁で、とても可愛らしい雰囲気だ。
「もうすぐ着くから準備しよっか」
「うん」
返事をすると、クラウは私の頬にキスをした。少しだけその部分が熱くなる。
ショルダーバッグを下げ、クラウにエスコートされながら雪道へ一歩を踏み出す。ブーツが大地を踏み締める度に、雪がぎゅっと潰れるような音が鳴る。寒い証拠だ。
吐く息が白くなるのを感じながら、改めて周囲を見渡してみる。まっすぐに伸びた道の先にあるのは、太陽に照らされて光り輝く湖面だ。恐らくスカイブ湖だろう。
「綺麗……!」
「でしょ? あの湖は凍らないんだ」
「どうして?」
「温水だから」
そういうことか。通りで湖面から湯気らしきものが僅かに立ち上っているわけだ。
もう少し神秘的な理由で凍らないでいてくれたらよかったな、なんて言えるはずもなく、クラウに微笑んでみる。
「早く行こう~」
「うん」
クラウも、にこっと目が細くなった。肩を抱かれ、ちょっとだけ足がふらつく。
「ねえ」
朝、抱いた疑問をぶつけてみることにした。
「ん?」
「どうしてこの髪型がよかったの?」
クラウの顔を見上げてみても、その表情は変わらない。
「ミユに一番似合う髪型だと思ったから」
胸に鈍痛が走る。どうしてもカノンの名が頭から離れない。
「……カノンを重ねてない?」
ついに聞いてしまった。私が唇を噛むと、クラウは大きく首を横に振る。
「純粋にミユに似合うと思ったからだよ」
「それなら……いいんだけど……」
私はまだ納得できずにいる。表情が曇ってしまったのか、肩を抱くクラウの手に力が入った。
湖水は驚くほどに澄んでいた。湖中を泳ぐ赤い小魚も肉眼で見えてしまう。桟橋の端に立ち、まじまじと水面を眺める。
「あっ! 青い魚だ」
「どこ~?」
クラウが指さす方を見てみても、その姿は確認できない。
「すぐにいなくなっちゃった」
「え~?」
クラウと同じ景色を見ていたいのに。口を尖らせてみても、青い魚は現れなかった。
「あのさ、ミユ」
「何~?」
「こんなことを言うのは嫌なんだけど……」
湖の方を見ていた青と銀の瞳は、柔らかな眼差しで私の元へと戻ってくる。
「また、ここに一緒に来よう」
「……うん」
その言葉は、白いベルフラワーの花畑でリエルが言った言葉と同じものだった。あの時は、リエルだけが未来を信じていた。でも、今は違う。私とクラウは同じ未来を夢見ている。意味が違う。
私は自然に笑顔に変わっていた。頷くと、クラウの身体に肩を預ける。
「絶対だからね?」
「うん。約束は守るよ」
その約束が未来への誓いのようで、胸がぎゅっと締めつけられた。
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