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第11章 婚約発表 / 第311話
フィスラ侯爵と言われても、ぴんと来ない。立場の問題なのだろうか。首を傾げたままの私に、一人の令嬢が告げる。
「イライザ様がね? トリスタン……昔のエリステル伯爵の娘と親友、だったんだよ」
その名を聞いた途端、喉が詰まるような感覚がした。傷の塞がった右腕までもが僅かに痛んだ気もする。
イライザが私を憎む理由を聞かなくても分かる。トリスタンが没落したのは私のせいだ、と言いたいのだろう。
怒りを向ける先を間違っている。しかし、イライザの気持ちを完全否定はできなかった。
俯いていると、誰かに肩を叩かれた。
「ミエラ、大丈夫?」
この柔らかな声はクラウだ。近付いてきた彼を前に、令嬢たちは黄色い歓声を上げる。
「うん。心配しないで」
「クローディオ様、おめでとうございます……!」
「この席に呼んでいただけて、すごく光栄です……!」
「ああ。うん、ありがとう」
その憧れの眼差しはクラウには届いていないのだろうか。にこりともせずに、私の手を取る。
「あっちでご飯食べよう? スチュアートもいるし」
強引に手を引かれるがまま、リリーたちから距離を取ってしまう形となった。もう少し貴族令嬢の話を聞いてみたかっただけに、少しだけ残念だ。
「クローディオ! もう少し様子を見てもよかったんじゃないか?」
「ミエラが傷付くのは嫌だ」
眉間にしわを寄せるスチュアートに、クラウは口を尖らせる。
「私は大丈夫だよ?」
「でも……やっぱり嫌だ」
まるで子供のようだ。なんだか面白くて、吹き出してしまった。そこへリリーがトコトコと走り寄ってくる。
「ステーキ、鶏の丸焼き、ポークソテー……全部美味しそう~」
「リリー、食べ物は逃げないぞ?」
「分かってるよ~」
スチュアートはリリーが挙げた食べ物を小皿に取り分ける。そして、それをリリーに優しく手渡した。やはり私にとって、二人は憧れの夫婦像だ。
それを見て、クラウも負けじと小皿を手に取る。
「ミエラ、何が食べたい?」
「う~んと……テリーヌと、シーザーサラダと、ローストビーフと……」
目に入った美味しそうなものを羅列していく。とはいえ、この料理は全てルーゼンベルクのシェフの手作りだ。美味くないはずがない。
「はい」
料理がこんもりと乗った小皿をクラウに手渡され、腹部が雷のような音を鳴らす。貴族たちの話し声に掻き消されたけれど、やはり恥ずかしい。
照れ隠しのためにクラウを見上げてみると、彼はポテトサラダを口に運んでいた。幸せそうな笑みだ。
「ポテトサラダ美味しい」
何気ない一言に、思わず吹き出しそうになってしまった。
「クローディオの大好物だもんね」
「うん」
その笑顔が私の心に明かりを灯す。
「クローディオ様のあんな表情を見るのは初めて……! きっとミエラ様のお陰だよね!」
「お二人ともお幸せそう……!」
ううん、クラウが今、幸せそうなのは私のお陰ではなく、ポテトサラダのお陰だ。令嬢たちに弁解する機会もなく、舌だけが幸福感に包まれる。
そうしてどれくらい食事を楽しんだだろう。最後のデザートまで辿り着くと、レオニスがこちらにやってきた。何やらクラウに耳打ちをする。
「行くぞ」
「うん」
行くとは、どこにだろう。今日はクラウも主役なのに、会場を去るというのだろうか。
「ミエラはここで待ってて! ケーキでも食べてて!」
さっぱりわけが分からない。颯爽と会場を出るクラウとレオニスを見送るしかなかった。
一瞬で不安が沸き起こる。いくらキャサリンやヒルダもいるとはいえ、席は離れてしまっているのだ。頼れる人がいない。
「ほら、ミエラ様はエメラルドから来たから……」
周りの声にも敏感になる。心細くて仕方がない。クラウに言われた通りにケーキを口に入れたものの、それがレモンケーキだと分かるのにしばらく時間がかかったほどだ。
振り子時計が時を刻み、午後九時の鐘が鳴る。すると突然、貴族たちが会場の後方に固まり始めたのだ。
「あ、あの……」
ついに私の悪い癖まで出てしまった。
「ミエラ! 大丈夫だから!」
ヒルダの声も聞こえた気がするけれど、本当に口にしていたのかは定かではない。
「ミエラ様は前に」
「えっ……?」
居場所を徐々に追いやられ、とうとう誰もいないひな壇の上に弾き出されてしまった。俯き、ぎゅっとドレスを握り締める。
「ミエラ」
しんと静まり返る会場でクラウの声だけが凛と響く。
貴族たちは、今度はクラウに道を開ける。クラウは人の波の間を進み、決意に満ちた表情で私の元へとやってきた。そのまま右手を胸に当て、跪く。
「百年間の時を経て、俺たちはまた出逢った。今までと同じように苦楽を共にし、一緒に生きていきたい。どうか、ミエラ」
一呼吸置き、クラウはそっと微笑む。
「俺とずっと一緒にいてください」
突然のことに頭が真っ白になる。『結婚してください』なんて言われたことがないとは思っていた。でも、まさかここでプロポーズされるなんて。まるで時が止まったかのようだ。
「ミエラ、返事は?」
ヒルダの声で、はっと我に返る。
「……私もクローディオと一緒に生きていきたいです。ずっと一緒にいてください」
多分、声は震えていたと思う。顔だって真っ赤だっただろう。
クラウが右手を下ろすと、手の平の中には黄色のハートの石が付いたネックレスが輝いていた。体勢を立ち膝に変え、クラウは私の首の後ろに手を回す。
「サファイアでは、婚約の時に自分の誕生石のネックレスを相手に送り合うんだ」
「じゃあ、これ……」
「うん、俺の誕生石のシトリン」
何やら首の後ろでわさわさと手が動いている。クラウの表情も徐々に曇り始めた。
「クローディオ?」
「留め具、留めづらい……。あっ、はまった」
するりと首からクラウの手が離れる。自分の胸に視線を映してみれば、そこには一カラットはあろうかと言うほどのシトリンが輝いていた。
クラウは胸ポケットからもう一つ、ブルーサファイアのハートのネックレスを取り出す。
「これ、俺の首にはめてくれる?」
「……うん」
人前でこんなことをするなんて、手が震えてしまう。クラウの首に手を回し、しばらく留め具と格闘をする。ようやくはまった時には、額に汗を掻いていた。
その汗をクラウが真っ白なハンカチで拭ってくれる。
「ありがとう」
私が言うと、クラウは私の右手を取って甲にキスをした。待っていたと言わんばかりに甲高い口笛の音や拍手、歓声が沸き起こる。
バックミュージックは華やかなワルツへと移り変わっていく。
「俺と一緒に踊ってください」
踊っている最中は誰にも邪魔をされない。二人だけの時間でいられる。クラウの微笑みに答えるようにして手を取り、足を動かす。
午前零時に魔法が解けるまで、私たちは会話を重ねたのだった。
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