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第6章 接点 / 第348話
サフィールと並んで雪道を歩く。サフィールは何気なく腰のポケットから古びた皮のノートを取り出した。よく見てみると、表紙には『ダイアリー クローディオ・ヴァルター』と刻印が施してあった。心臓が飛び跳ね、悲鳴が漏れそうになる。
「それ、まさか……!」
「うん。夫人に追い立てられちゃったからさ。置いてくるタイミングを失っちゃって」
「返しに行こうよ~!」
「いや、戻ったら俺たちの命が危ない」
あの夫人が私たちを拘束するとでも言うのだろうか。可能性はゼロではない。でも、限りなく低いと思うのだ。
ところが、サフィールは頑として引き返さない。
「俺は……知りたい」
クローディオの日記に視線を落としたまま、サフィールは続ける。
「俺に接触してきた理由を……どうして同じ顔をしてるのかを……俺は知りたい」
私も気持ちは分かる。ただの探求欲ではない。自分が何者かが分かる手掛かりが残っているかもしれないのだ。簡単には手放せない。
「でも、読むのは無事に着いてからね。破ったら大変なんだから~」
「うん」
サフィールは素直に頷くと、日記を再び腰ポケットへと戻す。そして私を見ると、儚く微笑んだ。その笑顔が遠い日に見たことがあるような気がして、胸がざわつく。頬までもが熱を上げるのだった。
すれ違いざまに貴族の痛い視線を浴びた後、庶民街へと入る。すぐに小さな商店が見えてきたので、気を緩めてしまいそうになった。
私たちはトライドールだ。どこであろうと、私たちに安全な場所などないというのに。拳を強く握ると、サフィールの片手が私の拳に触れた。
「……誰かに見られてる」
「えっ?」
「たぶん、貴族街から」
そんな気配を私は感じない。辺りをぐるっと見回してみても、怪しいものは見当たらなかった。
「向こうも警戒するから、きょろきょろしないで。大通りを歩いてたら、あいつらも手出しはできないから」
「……うん」
途端に心が緊張感を持ち始める。トライドールだとバレたらどうしよう。襲われたらどうしよう。サフィールが傷付けられたらどうしよう――。頭の中を占拠していく言葉たちを、どうにか声に出さずに飲み込んだ。
サフィールはちらりと後方を一瞥し、囁く。
「……走るよ」
そして、私の手を強く引く。
後方で誰かが舌打ちをする音が聞こえた。サフィールの勘は当たっていたのだ。人波を縫いながら走り、何かの店に入った。ドアを開けると、ベルの小気味のいい音が鳴る。
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」
「はい」
薄暗い雰囲気、穏やかに流れるジャズ、たくさん並べたテーブル――本の中でなら見たことがある。確か喫茶店、だっただろうか。荒い息のまま、ランプが灯る店内を見渡す。
すぐさまウィトレスに案内され、奥のテーブルに着いた。レストランの時と同じようにサフィールに冊子を手渡され、メニューを眺める。私の心は穏やかではない。
「こんなところにいていいの?」
「うん。あいつ、俺たちを見失ったと思う」
窓の外に目を遣れば、一人の体格がいいスキンヘッドの男性が右往左往している。間もなく、その男性は人波の中に消えていった。
安心していいのだろうか。少しだけ肩から力が抜けていく。
「甘いものでも食べて、夜中に備えよう」
「うん」
夕食も近いことが重なって、ビーフシチューとパフェを注文する。私がブルーベリーで、サフィールがチョコレートだ。意外と甘党なのだな、とサフィールに視線を送った。
「お金足りそう?」
「うん。でも、これで残りはなくなるかな」
サフィールは財布を取り出し、紙幣の枚数を確かめる。
「お会計、任せっぱなしでごめんね」
「ううん、大丈夫。これ、オーリたちのお金だし」
何が大丈夫なのかは分からないけれど、何度か頷いてみせる。
ほどなくして料理が用意された。芳醇なデミグラスソースの香りが鼻をくすぐる。
サフィールはポケットから自前のスプーンを手に取り、ビーフシチューにつけた。
「うん、大丈夫」
呟き、店のスプーンへと持ち換える。
「慌ただしいけど、急ぎ目で食べちゃおっか」
「うん、分かった」
いつ、先ほどの男性に見つかるか分からない。熱々のビーフシチューを息で冷ましながら、味わいつつも胃へと流し込んでいく。
パフェもあっという間に食べ終わり、窓の外を見てみる。怪しげな人物は見当たらなさそうだ。
「エルヴァ、行くよ」
「うん」
雪の降り始めた街へと戻る。街灯がついているとはいえ、もう細かな瞳の色を判別できるほどの明るさはない。しかし、念には念を入れて、私たちは瞳を隠し続けた。それが吉と出たのか凶と出たのかは分からない。
街を一時間ほど歩いた頃だろうか。私の体力に、とうとう限界が来てしまった。歩みは遅くなり、サフィールの足を止める。
「エルヴァ、歩ける?」
「ごめんなさい」
もう無理だ。首を横に振り、膝に両手を突く。
すると、サフィールが再び背中を見せる。
「乗って」
「でも……」
「いいから」
昨日に続いて今日もとなると、さすがに申し訳なくなってくる。とはいえ、排除派に見つかる方がもっと厄介だろう。
「お願いします」
サフィールの背中に身体を預け、ほっと息を吐き出す。揺れ始めた身体は、優しい温かさに包まれている。心地いい。そのまま睡魔がやってくる――かに思えた。
サフィールの足が僅かに止まったのだ。
「……また見つかった」
サフィールの呟きが耳に届く。
確実に私は足手纏いだ。二人とも捕まるくらいなら、私だけ捕まった方がまだマシだ。
「サフィール、私を置いて行って」
「そんなことできない」
「できないんじゃなくて、やるの」
「絶対にそんなことはやりたくない」
サフィールは私を支える腕に力を込め、力強く大地を蹴る。
「絶対に置いて行かない」
仲間とは、こんなにも頼もしいものなのだろうか。涙が頬を伝うのに、それを拭えずにいた。
サフィールの息は荒くなり、私の頬も冷えていく。午前零時は目前――どうか逃げ切って。
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