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第8章 過去へ繋がる森 / 第119話
「それ……」
鈴の音のような声に、肩が震える。
「ちょっとね」
しまった。見られてしまったものは取り消せない。
胸元にネックレスを仕舞い、ミユの顔も見ずにフォークと皿を取り上げた。そのまま廊下へと進む。
このリングは君のものなんだよ。そう言えたなら、どれ程楽だっただろう。
重たいと思われたくなかっただけではない。このリングの存在を知らないミユの反応を見て、自分自身が傷つくのが怖かったのだ。だから、毎日身に着けていたとしても、人目に晒すことはなかった。
やはり、傷口が抉られたように、胸がズキズキと痛む。
ドアが静かに閉まると、カイルとアリアが目を丸くして俺を見ていた。
「クラウ様、どうなさったんですか?」
「何でもない」
フォークを握る左腕で零れ落ちそうになる涙を拭い、キッチンへと急いだ。
* * *
あの光景は一生忘れないだろう。
水の塔へ行ったその日のことだ。ミユが一時だけ目覚める数十分前、何の予兆もなく薄ピンクの花弁がブワっと部屋中を舞った。この花弁には見覚えがある。カノンを探し回る中で、エメラルドで見た儚い花だ。風や雨ですぐに散ってしまうその花は、『桜』と言う名だった筈――。
俺たちに、床に、家具の上にはらはらと舞い降り、部屋をピンク色に染め上げる。
「またミユの魔法か!?」
「それしか考えられないよ」
「こんな魔法を使っちまったら……頭痛が酷くなるかもしれねぇ」
アレクは顔をしかめると、部屋から出て行ってしまった。
ミユはまだ穏やかな表情で眠っている。この顔がまた苦痛で歪むのだと思うと、やりきれない気持ちが湧いてくる。
どうか、今だけは耐えてくれ。そう祈ることしか出来ない。
いてもたってもいられずに、ミユの左手を布団の中から探し当て、強く握った。
「ミユ……」
「大丈夫だよ。クラウの時だって大変だったんだから」
「そうかもしれないけどさ……」
はっきり言って、俺が塔を回った当時の大変さはよく覚えていない。あまりにも前世の記憶の衝撃が強かったためだ。カノンの身体から溢れる赤に塗れた自分を鮮明に覚えている。自分の無力さを思い知らされた、あの時を。
叫びたくなる衝動を、喉に込み上げるものをどうにか抑える。
「あたしたちだってついてるんだよ?」
二人には分からない、俺だけの辛さを背負っているのに。勝手に同じ気持ちだと思い込まないで欲しい。横に振りたくなった首を、小さく縦に振った。
アレクとフレアはいつもそうだ。俺のことを分かったつもりになって、干渉してくる。俺が前世でカノンを探し続けていた時も、『カノンが転生したら魔導師になる筈だ』と言って、俺を止める真似しかしなかった。『一緒に探す』と言われたことなんて一度もない。
それもそうだ。ただの仲間としか見ていないカノンのことを、寿命を縮めてまで探すなど、彼らは望んで行わないだろう。二人はただ現在を悲観して、嘆いて、目を背けて――そんな風にしか俺は思えなかった。
いつの間にか二人は恋人同士になり、俺から距離を置き、傷の舐め合いをして、俺が立ち入る隙すらなくなってしまった。そんな二人に、恋人を殺された俺の気持ちは分からない。
朝から嫌なことを思い出してしまった。モーニングコーヒーを自室で飲みながら、ほっと一息吐き出す。
今日は少しだけ寝坊してしまったのだ。時計を見てみれば、朝の九時を回っている。他の三人は、各自で朝食を摂ってしまった後だろう。さて、俺はどうしよう。
会議室へと様子を見に行っても良いが、先程、嫌な考えに至ったせいで、アレクとフレアとは顔を合わせにくい。
朝食は諦めよう。小さく欠伸をし、窓の外の空を眺める。青空を覆うように、鱗雲が広がっていた。
ちょっと窓を開け、空気の入れ替えをしよう。気分転換もしよう。椅子から徐に立ち上がり、バルコニーへと続く窓を開けた。草原を撫ぜていた、爽やかな風が部屋の中へと吹き込む。
その時、ドアがノックされた。
「クラウ、いるか?」
この声はアレクだ。何も考えずに頷く。
「うん」
「ミユが、どうしても過去を見る理由を知りたいらしいんだけどよー、もう話すしかねぇと思うんだ」
「それは良いけど、俺は……」
「どうした?」
アレクは不思議そうに俺を見て、小首を傾げる。
「俺の口からは伝えられそうにないから。出来るならアレクに任せたい」
「あぁ。元からそのつもりだ」
アレクはリーダー気質だ。嫌なことでも、躊躇いながらも仲間に伝えることが出来る。俺以外には気遣いも出来ている、と思う。アレクは親指でドアの方を差し、若干早口で話をまとめる。
「フレアとミユが待ってんだ。すぐ行くぞ」
「分かった」
残っていたコーヒーを一気に飲み干し、アレクの後に続いた。この時、舌を若干火傷してしまったのは秘密だ。
ミユの部屋に入ると、フレアは既にベッドの傍に佇んでいた。そのベッドには、上体を起こしたミユがちょこんと座っている。
アレクはちらりとこちらを見て、すぐさまミユへと視線を戻す。
「良いか? ミユ、話すぞ」
「うん」
アレクは息を吐き出し、背筋を伸ばす。遂に、ミユが過去の秘密を知る時が来たのだ、嫌でも心臓の鼓動は速まるし、手には汗だって握る。
「簡単に言う」
口を出すのも躊躇われ、不思議そうにアレクを見るミユの瞳を見てみる。
「あの『過去』はオレらの中にある『記憶』だ。つまり、あの『記憶』に出てくる百年前のアイツらは、オレらの『前世』だ。だからよー、影に殺られた地の魔導師は、オマエ自身なんだ」
アレクが言った瞬間、ミユは目を見開いた。彼女がどう考え、心の中でどう反応したのかは分からない。
ミユの左目からはらりと涙が零れ落ち、その上半身は段々と後ろへと傾いていく。
「ミユ!」
そう叫んだ時には、ミユはベッドの上で気を失っていた。
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