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第14章 絶望の淵で / 第139話
「その剣で影をかすりでもすれば、ミユの呪いは解ける。影も消滅させられる。ただし、誰かが身を捧げる必要があるってさ」
アレクの表情は強ばり、口がわなわなと震えている。
「何でそんな話をオマエだけに」
「俺が適任だろうって言われた」
恐らく、アレクは怒っているのだろう。俺に対してではなく、神に対して。
「神は何も分かっちゃいねぇ! 今、確信した! 何で一番無茶しやがるオマエに伝えるんだ!?」
「多分、ミユを一番大切に想ってるのが俺だからだよ」
「だから駄目なんだ! そんな方法でミユを救ったとしても、何も残らねぇじゃねーか!」
アレクは怒りと混乱を隠したりはしない。大きな身振り手振りで感情を表現し、仕舞いには頭を掻き毟った。
残るものはある。ミユ、それにアレクとフレアの命は救われる。
「ミユの呪いが解けるんだ。ミユの……アレクとフレアの命だって無駄にはならないよ」
「……オマエ、まさかとは思うけどよー」
アレクは目を吊り上げ、俺を睨む。
「その方法に賭けようってんじゃねぇだろーな」
賭けなくては、ミユが殺されてしまう。たった一人遺されるなんて、もう二度と経験したくはない。リエルのような想いはしたくない。
「……俺はやってみせる」
覚悟なんて決まっていない筈なのに。諦めに似た決意が心を揺さぶる。
「本気で言ってんのか?」
「そうだよ」
ミユの眩しい笑顔が思い出される。この笑顔を絶やしたくはない。
「ミユが生きててくれるなら。幸せになってくれるなら」
言い切ると、瞼を閉じて視界を遮断した。
「ミユがオマエのいなくなった世界で幸せになれると思ってんのか!? 置いてかれたくらいで泣くくらいなんだぞ!? アイツの気持ちも考えたことあるのか!?」
今はミユの気持ちを考えてしまえば、その命を救えなくなってしまう。幸せになってくれると信じるしかない。
「おい……何か言えよ……」
椅子が傾く音がしたかと思うと、アレクの足音がこちらへ向かってきた。
「何か言えって言ってんだろおぉっ!」
殺気と共に、右頬に強烈な衝撃と痛みが走り、椅子から転がり落ちてしまった。背中への衝撃も強く、一瞬、息が止まりそうになる。むせながら目を開けると、アレクが鬼のような形相で立ち、俺を見下ろしていた。
口の中に鉄の味が広がる。気持ち悪い。
「ふざけんな! その気持ちはオマエが一番分かってる筈じゃねーか! 何でだよ!? ああっ!?」
呼吸を荒らげ、捲し立てる。そんな言葉も、俺にはたいして響かない。
「んなことしたらタダじゃ済まさねぇからな!」
震え上がる程の剣幕なのだろうが、俺には何の意味もない。脅しだろうが、死んでしまった後ではもう届かない。
「良いか!? 変な気起こすんじゃねーぞ! その時はオレがオマエを――」
「でもさ、アレクたちは平気でしょ?」
一瞬の隙を突いて口を出してみる。自分の感情も無視して思いつきで言葉を並べていく。
「……何がだ!?」
「俺が早死にするのなんてさ、見慣れてるじゃん? だから二人がミユを――」
「っぁああーっ!」
叫び声に驚いて顔を正面に向けた時には、既に目前にアレクの拳が迫っていた。避けられる筈もなく、今度は左頬に命中する。
顔の向きを元へ戻す気力も起きず、目だけを動かしてアレクの様子を窺ってみた。
視界が霞み、はっきりとは見えない。俯いているのだろうということが分かるくらいだ。俺の胸倉を掴んだままの腕の重みに加え、もう片腕の重みも同じ場所にかかる。
「慣れて堪るかよ……! オレらが百年間、どんな思いでいたと思ってんだ!? 無茶するオマエを止められもしねーで、死なせちまってよぉ! オマエらだけじゃねーんだ! オレらだってなぁっ! ……くそぉっ!」
激しく喚き立てられた後、胸にかかる重みが半減した。また俺の顔を目がけて拳を振りかざしたのだろうか。
次に襲ってくるであろう痛みに備え、思い切り瞼を瞑る。しかし、予想していた事は起こらなかった。
不意にドアが開いた小さな音が聞こえ、廊下の空気が部屋へと流れ込んできたのだ。
「……アレク! 何してるの!?」
この声はフレアだ。
恐る恐る瞼を開けていくと、未だに霞んではいるが、アレクの隣にフレアの姿を確認することが出来た。
「止めんじゃねーよ! コイツ、何も分かってねーんだ! 今分からせてやんねーと――」
「もう十分だよ! クラウの頬、真っ赤に腫れてるんだよ!? 血まで出てるでしょ!?」
「んなもん関係ねーよ!」
二人の言い争う声が左から右へと流れていく筈だった。
乾いた音が部屋中に響き渡った。フレアがアレクを平手打ちしたのだ。
アレクは自分の頬を庇おうとしたのだろう。俺を束縛する物は全て取り払われ、胸の苦しさも消え失せる。思わず「はぁ……」と吐息が漏れてしまった。
もう殴らせないようにするためなのか、すぐさまフレアは俺とアレクの間に割って入る。
「クラウ、起き上がれる?」
囁きと共に、背中に細い腕が回った。
「うん……」
ぼんやりとしながらも、非力なフレアに全体重を預けてはいけないと脳が指令を下し、何とか両腕を使って上半身を起こしていく。一人で腰を据える事は出来たが、背中は小さく丸まっているのだろう。
フレアは俯く俺を覗き込み、いつの間にか取り出したハンカチを俺の口元へと押しつける。
「こんなになるまで殴るなんて……。何があったの?」
フレアにも教えた方が良いのだろうが、もう気力が残っていないし、これ以上は心も保たない。顔も上げず、首を横に振る事しか出来なかった。
そんな時、前方で破壊音が鳴り響く。恐らく、蚊帳の外へ追い出されたアレクが物に八つ当たりしたのだろう。 「はぁ……」と溜め息を吐く音が聞こえ、顔に軽く息がかかった。
「こんなに腫れてるんだもん。中も切れてるでしょ?」
「うん……」
目をゆっくりと開けながら口先で返事をし、言われるがままに足に力を入れていく。ふらつきながらも歩を進め、洗面台を目指した。
途中、アレクの突き刺さるような視線をずっと感じたが、一々気にしてもいられない。逃げるようにして前方だけを見据え、洗面所へ辿り着くなり背中でドアを閉めた。
この静けさが、俺の心に冷静さをもたらす。
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