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第14章 絶望の淵で / 第140話
俺だって、言ってはいけない言葉を言ってしまったことくらい分かっている。他人の気持ちを全く考えず、自分の感情も無視してあんな失言をするなんて。あの時はどうかしていた。
ただ、ミユの命だけは救いたいという思いに嘘はない。たとえ犠牲を払うことになったとしても。
洗面台に置いてあったコップを手に取り、蛇口を捻る。流れてきた水をコップで掬い、溜め息を吐いた。
水を口に含むと、強烈な痛みが頬に広がる。堪らずに吐き出したものは真っ赤に染まっていた。それも新しい水が何もなかったように洗い流していく。
殺されるということは、こんな痛みとは比べ物にならない程の苦痛を味わうことになるのだろう。前世で自分の命を粗末にしてきた俺だが、どうしようもなく怖い。身体が震え出しそうだ。
深呼吸をしながら、初めて鏡に目を遣った。頬が風船のように腫れ上がっている。フレアが心配するのも納得だ。
なんとかしてアレクに謝らなくては。気持ちを切り替え、洗面台に背を向ける。
恐らく、フレアがアレクに説教をしてくれているだろう。そう思ったのだが、既にフレアは部屋から姿を消していた。アレクだけが窓際に佇んで腕を組み、不機嫌そうにこちらを睨みつけている。
アレクは俺がドアを閉めるのを確認すると、その表情には似合わない言葉を口にした。
「悪かったな」
内容とは裏腹に、声も同じく不機嫌そうだ。
絶対に本心から詫びているのではない。俺がいない間に強要されたのだろう。
「フレアに謝れって言われた?」
「じゃなきゃ謝んねぇよ。悪いのはオマエだからな」
「だよね」
やはり思った通りか。苦笑いをし、痛む頬を擦ってみる。そんな俺の様子に、何故かアレクの機嫌は更に悪くなったようだ。
「……さっきはごめん」
素直に謝った方が良いだろう。そう思っての言葉だった。
しかし、アレクの反応は薄い。吐息を吐き、窓の外に目を遣った。
「簡単に諦めんなよ……」
悲しい呟きが俺の心に染み入る。それでも、俺には何のことを言っているのか分からない。
「別に、何も諦めてないし」
「自分の命を諦めただろ」
先程とは違い、硬い声できっぱりと言い切った。それが矢のように胸へ突き刺さる。
言い返すべき言葉が見つからない。
口を噤んだままの俺に、アレクは言葉を重ねていく。
「オレは諦めねーからな」
どこかで聞いたことのある台詞だ。いや、正しくは以前に俺が言った台詞、なのだろう。
アレクにこんなことを言われるとは。胸が詰まる。
「魔法の特訓が終わったら、ぜってー他の方法を見つけ出してやる。そんな方法に賭けてらんねぇよ」
切ない程の声を詰まらせると、アレクは右腕で頬を擦った。
申し訳なくなってしまい、アレクから顔を逸らす。倒れていた椅子を直し、なんとなくそこへ座ってみる。謝罪を重ねたくなったが、言葉が素直に出てきてくれなかった。
ふと外へ意識を持っていくと、笛の音色が聞こえ始めたのだ。恐らく、ミユが演奏しているのだろう。まるで、アレクへの暴言を許してくれるかのようだ。あんなことがあったばかりなのに、自然と心は安らいでいく。
「綺麗な音だよね。落ち着く」
テーブルを見詰めたまま、微笑んでいた。
そのせいで、アレクの行動に気づけなかった。こことどこかを往復する足音は確かに聞こえていた筈なのに。
耳元で、鋭い金属音が聞こえたかと思うと、右の首筋に針で刺したような鋭い痛みを感じたのだ。先を目だけで追っていくと、解呪の剣の刃らしきものが太陽の光を反射している。
「アレク。何……してるのさ……」
「怖いか?」
まるで、脅すような声だ。
「お前がしよーとしてたことは、こういうことだ」
アレクがこんなことをするなんて。固く瞼を閉じると、数秒後に首筋の痛みはなくなった。代わりに、何かを床に投げつける激しい音が部屋に響く。
「この恐怖を忘れんじゃねーぞ」
捨て台詞を吐き、足音とアレクの気配は遠ざかっていく。ドアの開閉音が鳴ると、部屋はミユの奏でる笛の音が遠くに聞こえるのみとなった。
「そんなこと、言われなくても分かってるよ」
誰もいなくなった部屋で、ぽつりと小さく呟いた。
* * *
こんなにも腫れ上がった顔はミユには見せられない。確実に心配させてしまう。
アレクも流石にまずいと思ったのか、夕食は自室で摂らせてくれた。
さて、問題は明日からだ。頬の腫れが一日で引いてくれるとは思えないが、いつまでも部屋に閉じこもってもいられない。いつ、影が襲ってくるか分からないのだ。
フレアに水嚢を二つ用意してもらい、氷水を流し込む。それを膨れっ面で、両頬に当てていた。
「どうせ殴るなら、後のことも考えて殴って欲しい……」
訳の分からないことをぼやき、盛大に溜め息を吐く。
“殴った風の子も悪いけど、クラウもそれ相応のことは言ったからね。あの子が言いたいことは、ちゃんと伝わった?”
「うん」
リエルに言われるまでもない。一番悪いのは俺なのだ。
“今日はもう眠った方が良いよ。明日から魔法の特訓するかもじゃん?”
「そうなんだけどさ。頬っぺたの腫れが気になって」
“それは……もう諦めるしかないよ。一晩で治るものじゃない”
「だよね……」
ミユは自分の事だけで精一杯な筈なのに。どうしてこんなことになったのだろう。
全ては望みを捨てた過去の自分のせいだ。今はそうでないと言い切れる。
絶対に四人が誰一人として欠けることなく、戦いに勝ってみせる。俺はもう諦めない。心に刻みつけて、満天の星空に決意表明をする。
夜は嵐の前の静けさのように、何ごともなく更けていった。
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