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第5章 始まりの疾風 / 第108話
それが良くなかったらしい。目的の部屋へワープし、ミユをベッドに寝かせる俺に、アレクとフレアは目を丸くした。
「オマエ、何で泣いてんだ?」
「……ミユ、温かいんだ」
小さな幸せに、より一層涙が零れる。
「最後にカノンを抱いた時、凄く冷たかったからさ。もう、そうじゃないんだって思ったら……」
尚更、涙が止まらない。
アレクとフレアは小さく笑う。直後、何かが思い切り俺の肩を強く叩いた。
「痛っ!」
「今更じゃねーか、んなこと」
じんじんと痛む肩を擦っていると、アレクはにかっと笑う。
「今度こそ、しっかり守ってやれよ」
「……うん」
絶対に、カノンと同じ目に遭わせたりはしない。胸に誓い、ようやく涙を拭った。
「アレク、お茶持ってきて?」
「何でオレなんだ?」
「女の子の部屋に男二人だけで置いとけないでしょ?」
「それもそーか」
アレクは頭を掻くと、文句も言わずに部屋を後にした。
フレアは早速、椅子を移動させようとするので、急いで止めに入る。
「俺がやるから」
「そう? ありがとう」
微笑むフレアはどこか憂いを帯びているようでもある。
三脚の椅子をベッドの傍へと移動させ、どちらともなくそれに腰かける。
ミユはまだ目覚めない。アレクが紅茶を持ってきても、それが冷めきっても、飲み干しても目が覚めない。
このまま目覚めなかったらどうしよう。そんな不安が脳裏を掠めた。ティーカップをきつく握り締める。
「大丈夫。大丈夫だから」
そんな俺を見かねてか、フレアは優しく呟いた。
その時、ようやくミユの瞼がゆっくりと開いた。何度か瞬きをし、何が起こったのかを確認しているようだ。
瞳の色はエメラルドグリーン――。
いや、見違いだったかもしれない。思わず声を上げそうになった時には、もう焦茶色に戻っていたのだから。
「あれ……?」
「ミユ、混乱してない?」
「う~ん……」
ミユは眉をしかめると、掛け布団を頭からすっぽりと被った。
「今見たものが過去? 影のことが何か分かるんじゃなかったの?」
ミユのくぐもった声が聞こえる。
「それは、もう少し先だ」
「じゃあ、また過去を見なきゃいけないの?」
「ああ、あと三つだな」
アレクが答えると、ミユは唸り声を上げる。
「ミユ、頭、痛む?」
「うん」
「ちょっと我慢しててね」
フレアの行動は早かった。返事を聞くや否や椅子から立ち上がり、何も言わずに部屋から飛び出していった。
小さな音を立ててドアが閉まるその光景を、ただぼんやりと眺めていた。
「痛っ!」
突如としてミユの悲鳴が上がる。
「大丈夫!?」
「ミユ、布団捲るぞ」
身体が反応したのはアレクの方が早かった。
布団を捲ると、頭を抱えるミユの顔があった。痛みが若干和らいだのか、瞼は開いており、揺れる瞳はこちらを見ていた。
「まだ痛む?」
「うん、ちょっと」
「フレアが水嚢持ってきてくれるからな。もう少し我慢してくれ」
アレクは苦笑いをすると、ミユの頭へと手を伸ばす。そのまま撫で回し始めた。
こんなにも辛そうなのに、代わってあげられない。記憶を手放してあげたいのに、俺の心が許さない。
「ごめん」
呟き、俯いたところで、気持ちが晴れ渡ることはない。
「そんな顔すんな。余計にミユが不安になっちまうぞ?」
「うん……」
何とか気持ちを切り替えなくては。軽く頬に両手を当て、息を吐き出した。
その空気を変えたのはミユだった。
「私、どうしてここに?」
「風の塔の中で倒れちまったからよー、コイツがここまで運んできたんだ」
「クラウが?」
「あぁ」
アレクの肘が俺に当たる。
泣き顔をミユに見られなくて良かった。と同時に、あの時のミユの温もりが蘇り、自然と顔が熱を持ち始める。
「ごめんね」
消え入りそうなミユの声が聞こえた。
この言葉は俺に向けられたのだろうか。謝ることなんてないのに。大きく首を横に振ってみせた。
「あれを見せられて、倒れない人なんていないんだ。だから謝らないで」
「うん……」
返事の仕方、小さな吐息、恐らく納得はしていないのだろう。
そうこうしている間にフレアが戻ってきた。水嚢をミユの額にセットし、黒い横髪を耳に掛けながら、その顔を覗き込む。
「これで少し良くなればいいけど」
フレアは息を吐き、アレクの顔を見上げる。
「七日間くらい様子見てみよーぜ。急かしても良いことはねーだろーしな」
「そうだね、ゆっくり行こう」
影がすぐに襲ってこないことを願うしかない。両手で握り拳を作る。
「ミユ、お腹空いてない?」
フレアが聞くと、ミユは首を横に振る。
「腹空いたら言えよ」
「うん」
ミユが笑顔で大きく頷くと、部屋の緊張が少し緩んだ気がした。
時計の鳴る音が部屋に反響する。静まり返った状況に耐えきれなかったのかもしれない。
「こんな時に何だけど、ミユって異世界に好きな人っていたの?」
本当に『こんな時に』だ。フレアがミユにとんでもないことを聞き始めたのだ。
ミユは不思議そうに首を傾げる。
「いないけど……?」
「そっかぁ。じゃあ、女の子同士の恋バナはまだ出来ないかぁ」
「恋バナ……」
ミユは呟くと、頬を赤く染めた。
「ホント、女ってそーいうの好きだよな」
ちらりとアレクがこちらを見た気がする。
そんなのはどうでも良い。
そもそも、リエルとカノンが恋人同士だったからと言って、俺とミユがどうにかなる、という問題でもないのだ。いざ考えようとすると混乱してしまう。
ひたすらカノンを追い求めてきたものの、このままミユを追っても良いのだろうか。俺のこの気持ちは、本当に俺のものなのだろうか。分からない。
気持ちの決着もつかず、ミユの頭痛が完全に治まるまでには、三日間を要した。
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