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第5章 己 / 第345話
そうして話し疲れたのか、私はいつの間にかベッドで朝を迎えていた。部屋の中を見回しても、サフィールの姿はない。
それにしても昨夜は楽しかった。こんなに人と会話したのも、昨日が初めてだったかもしれない。
「また、いっぱい話せるかな……」
ぽつりと呟き、サフィールの笑顔を思い浮かべる。ほんの少しだけ、頬の熱が上がったような感覚がした。
洗面台でグラスに水を注ぎ、一気に喉を潤す。今日はいよいよルーゼンベルク公爵家に突撃だ。魔導師がいたかもしれない屋敷には何が残されているのだろう。興味が湧くと同時に、本当に知ってしまっていいのかと恐怖に似た感覚が押し寄せる。
「私だってトライドールなんだから。知る権利なら、私にだってあるもん」
何とか自分を納得させ、椅子へと戻った。
トファーとガルニアは無事だろうか。また合流できるだろうか。どうか、危険な目には遭っていませんように。祈るような気持ちで窓の外へと目を向ける。今日は晴れ渡っており、キラキラと光る粉のようなものが舞っていた。
そんな時に、ドアがノックされる。
「俺がいれば大丈夫」
サフィールの声だ。もう疑う余地はない。急いでドアに駆け寄り、鍵を開ける。
「よかった、起きてた」
サフィールはそっと微笑み、静かにドアを閉めた。
「今日の集合って15時じゃん? それまで少しだけ時間を潰そうと思って」
またサフィールと楽しい会話ができる。胸が高鳴ってしまう。二人でテーブルへと移動し、向かい合わせで腰を下ろす。
「トファーとガルニアは大丈夫かなぁ。私、心配で」
「あの二人の方が、トライドールとして外を生きてきた歴は長い。きっと上手くやってる」
サフィールもオーリから二人の事情を聴いたのだろうか。首を小さく傾げてみせると、サフィールは悲しそうに微笑む。
「エルヴァ、救出してから三日間も眠ってたからね。その間に二人から聞いた」
「えっ!?」
私にとっては、眠っていた時間の方が衝撃的だ。どれほど、みんなに心配をかけたのだろう。しかし、ここで謝るのも違う気がして、口を噤む他にはなかった。
サフィールは「でも……」と続ける。
「シエロ団が、エルヴァが無防備なところに侵入してこなくてよかったよ」
「シエロ団って……何?」
私には知らないことが多すぎる。一つずつ確認していかなくては謎だらけになってしまう。
私が尋ねると、サフィールの顔つきが少し真剣なものへと変わった。
「この世界に存在する空賊の中で、最大級の空賊団……それがシエロ団だよ」
ことの重大性に息を呑む。だからトファーはあんなに警戒したのだ。『また沸いてくる』の言葉に嘘偽りはない。
「そんなのに見つかったら、私たちはおしまいだよ……」
「もう見つかってるんだよね」
サフィールは小声で言い、苦笑いをする。
「でも、あの下っ端の口が封じられたなら、必要以上に怖がらなくてもいい。また遭うことがあったら、その時に考えればいいから」
そういうものなのだろうか。組織の内部が分からないので、どう返事をしていいのか分からない。とりあえず、今は頭の隅に追いやっておこう。
「……そろそろ行こうか」
サフィールが時計に目を遣るのでその視線を追ってみれば、針は十二時を差そうとしている。途端に空腹感を覚え、腹部を擦ってしまった。
「途中でレストランにも寄ろっか」
「うん」
レストランという聞き慣れない言葉に戸惑いながらも、サフィールと一緒に腰を上げる。外に出ると、空中に漂っていたはずの煌めく粉らしきものは消えていた。
赤レンガの街並みを横目に、サフィールと連れ立って歩く。立ち寄ったのは赤のネオンで『レストラン』と大々的に銘打っているところだった。中に入ってみると、テーブルがいくつも並んでいる。人がいっぱい座り、食事を楽しんでいる。料理の香りが立ち込めている。世の中にはこんなところがあっただなんて。何が食べられるのだろう。空腹は増していくばかりだ。
ウェイターと名札を付けた店員に案内され、一つのテーブルに座る。人の会話が四方から聞こえてくるので、なんだか落ち着かない。
サフィールは料理の写真が載った冊子を手渡してくれた。
「ほら。この中から好きな食べ物選んで」
「どれでもいいの?」
「うん。お金はオーリから貰ってきたから」
急にワクワクしてきた。好きなものが食べ放題だなんて。残さない程度に注文してしまおう。
ブザーを鳴らすと、ウェイターがメモ用紙を手に私たちのテーブルへとやってきた。
「ビーフハンバーグと、ライスと、シーザーサラダと、コーンスープをお願いします」
伯爵家での昼食と変わらない量の料理を連ると、サフィールも「全部二つずつで」と添える。こんなに満足のいく食事はいつ振りだろう。料理が運ばれてくると、一口ずつ噛み締める。何故か、鼻の奥がツンとした。
腹ごしらえを終え、私たちは再び街中へと繰り出した。次第に小さな二階建ての建物が立ち並ぶ場所から、庭付きの屋敷へと様相が変わる。
「ルーゼンベルクまではもう少しかかるよ。もっと城に近いところ」
サフィールが指さした場所には、彼がずっと囚われていたサファイア城が霞んで見えた。それにしても、私たちのような庶民の格好をした者が歩いていて、貴族街で浮かないだろうか。心配はほどなく現実となる。
ドレスやフォーマルウェアを着た紳士淑女とすれ違うたびに、痛いほどの視線を感じたのだ。
「急ごう」
サフィールは私の手を握り、早歩きになる。私たちの正体が知られませんように。祈るような気持ちで前だけを見据えた。
街の鐘が十五時を告げる。私たちは一つの屋敷の前にいた。
赤レンガ造りの、視界には収まりきらない大豪邸――ここがルーゼンベルク公爵家らしい。
トファーとガルニアはまだだろうか。速まる鼓動を感じながら、左右の道を見比べる。その先に、小さな人影を二つ確認できたのだ。
「ガルニア!」
私が手を振ると、ガルニアは駆け足になる。
「エルヴァ、よかった……!」
私からもガルニアへ駆け寄り、二人でハグをする。
ここからが本番だ。まずは、屋敷に入れてもらうところから始めなくてはいけない。
四人で左目を露わにし、トファーがドアノッカーを叩く。
「どなたで――」
門前に現れた黒髪で執事服の男性が、一気に目を丸くした。
「お入りください!」
どうやら第一関門は突破できたらしい。息つく暇もなく、執事は主の元へと向かったようだ。私たちはエントランスで立ち尽くすしかなかった。
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