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第7章 陰謀 / 第299話
その日のうちに、私はルーゼンベルク本邸へと戻された。号泣して私に縋り付くキャサリンには、かなり驚いてしまったものだ。それほどまでに私は皆に心配をかけたのだろう。
温かいものを食べて、事件があった屋敷とは全く違う場所で眠りに就く。それだけで、少しだけ緊張が解れていった。ここにはクラウも、レオニスも、キャサリンもいる。独りぼっちではない。
その証拠に、目覚めた時には太陽が真上に昇っていた。起き抜けにソファーへと向かうと、テーブルに温かいままの紅茶が置かれている。
私が目覚めるのを待って、メイドが注ぎ直してくれたのだろうか。身体だけではなく、心も一緒に温かくなる。
その心の隙を縫って、不安が首をもたげた。
「私……これからどうなるんだろう」
花嫁修業のためとはいえ、また一人で別邸に送られるのは嫌だ。でも、それもままならないとなると、婚約自体がなかったことになるのではないだろうか。
せっかくこの世界を選んだのに。クラウと一緒にいられると思ったのに。
そこまで考えたところでノックの音が鳴り響いた。顔を覗かせたのはレオニスとキャサリンだ。
「ミエラ、よく休めたか?」
レオニスは心配そうな表情で私の顔を見る。
「はい。温かい紅茶まで、ありがとうございます」
「何を言ってるの。当たり前のことをしただけですよ」
キャサリンまでもが笑顔の裏に哀愁を漂わせる。
レオニスはキャサリンの肩を抱きながら、僅かに表情を引き締めた。
「ミエラにいい知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたい?」
悪い知らせは、きっと帰国を迫られるのだろう。少しでも長くサファイアにいたい。静かな絶望が私の思考を決める。
「いい知らせから……聞きたいです」
「エリステル伯爵が捕まった。主犯で間違いないそうだ。今日、爵位の剥奪も決まった」
「よかった……」
それなら、もう同じ犯人に誰かが襲われることはないのだろう。安堵のせいで、涙が零れそうになる。
「次は悪い知らせだな」
そうだ。泣いてなんかいる場合ではない。心に鉛のようなものが深く沈んでいくような気持ちになる。
覚悟を決めて口を結ぶと、レオニスの口元が僅かに緩んだ。
「ミエラをこの本邸に閉じ込めておくことにした。外出時はメイドに変装すること。できるか?」
「えっ……?」
てっきり婚約は破棄されると思っていたのに。希望が潰えると思ったのに。私はまだ足掻けるのだろうか。
「私、まだここにいても……いいんですか? 凄く迷惑をかけたのに……」
「いいに決まっている。迷惑をかけたのは私たちも同じだ。それに、初めてクローディオが見初めた令嬢だからな」
レオニスとキャサリンは顔を見合わせ、にこりと笑う。私にはまだチャンスがある。この世界を選んだのは、無駄ではなかった。
感情がごちゃ混ぜになってしまい、我慢していたはずの涙が零れ落ちる。流石、あのクラウを育て上げた両親だ。
両手で顔を覆って泣きじゃくる。私の背中を撫でてくれたのは小さくて柔らかな手だったので、恐らくキャサリンのものだろう。
「私たちのことはお父様、お母様って呼んで。もう、貴女は私たちの家族ですから」
返事をしたいのに、声が出てくれない。何度も頷き、キャサリンに飛び付いてしまった。
* * *
夕食後、堪らずにクラウの部屋まで駆け足で向かう。エリステル伯爵――今はトリスタン・ハワード、ジョエル、それにジャックがサファイアの最北の地へ送られることとなったのだ。
三人の不幸が嬉しいわけではない。ただ、トリスタンの犯行動機があまりにも自己中心的だったため、クラウが自己嫌悪に苛まれていないか不安だったのだ。
クラウの部屋を開けると、思った通り、彼は私に涙を流しながら抱き着いてきた。
「ミユ、ごめん……! 怖い思いをさせたのは、俺のせいだ……!」
私を消したかったのは、ただ単に私が邪魔だったから。自分の娘をクラウに嫁がせたかったからだった。次期公爵の身分がなければ起こらなかった事件だ。クラウ自身に罪はないというのに。
「私は無事だったから。それでいいでしょ?」
「でも……!」
この自己嫌悪は私がどう頑張っても崩せるものではない。自分自身で立ち上がらなくては。何とかクラウをソファーに移動させ、その背中を撫でてみる。
今夜は会話らしい会話はできないかもしれない。でも、私はそれでいい。一緒にいられれば満足だ。
「こうなるって分かってて、ルイスは地震を起こしたのかな。生き残っても、私たちが恨まれるからって」
ただの独り言だった。部屋の空気に溶けるかと思っていた頃合いで、クラウは口を開いた。
「そう……なのかもしれない。あいつは頭も回ったし、陰湿だったし……」
「ある意味、私たちは負けたのかなぁ」
過去の敵のやり口が汚すぎて、苦笑いが出てしまう。ようやくクラウから身体を離し、小さな吐息をついた。
「ミユはずっと、こうやって俺の傍にいてくれるじゃん。どうして?」
突拍子のないクラウの疑問に、首を傾げてしまった。
「好きだからだよ」
言うまでもない。それなのに、クラウは私の返事を聞いて俯いてしまった。暖炉の蒔が一本崩れる。
「俺さ……」
「ん?」
クラウは少しだけ間を置く。
「思い返してみたら……誰かに頼るってことをしてこなかったのかもしれない。子供の頃から自分で何とかしなきゃ、って。前世でカノンの生まれ変わりを探してた時だって、アレクにも、フレアにも、カイルにも助けを求めたことなんてなかった」
「……うん」
想像のつく話だった。一瞬、部屋が静まり返る。
「俺……もう、頑張らなくても、自由に生きても、いいのかな」
声が震えている。クラウはどれだけ一人で抱え込んできたのだろう。百年間の空白が恨めしく思えてくる。
「そんなになるまで我慢することなんて……。私みたいに、怖い、苦しいって言ってよかったんだよ」
「ミユを……カノンを見殺しにした罪悪感が消えないんだ」
「見殺しなんかじゃない! あれは仕方なかったの」
「でも……」
やはり、これ以上クラウの考えを否定してあげられる言葉は持っていない。仕方なく、傍らに置いてあったレースの付いたハンカチをクラウに手渡した。それを受け取ると、大きな左手はゴシゴシと顔を拭く。
しわくちゃになったハンカチは無言で返ってきた。
「クラウは自由だよ。私が保証する」
「……うん」
「自分のこと、大事にしてあげて?」
「……うん」
またクラウが瞳を潤ませるので、勢いでその頬にキスをしてみた。顔を離すと、私の身体は力強く抱き締められた。
「ミユ、ありがとう」
「うん」
この夜で、少しでもクラウの心の重りが取れたならそれでいい。百年の苦しみを取り去るには、私のこれからの人生を全て賭す覚悟だ。会話はなくなったけれど、居心地はいい。消灯の時間が来るまで、クラウの手を握り締めていた。
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