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第5章 己 / 第343話
エメラルドの時と同じように森の中へと降り立ち、私は樽へ、サフィールは木箱へ、ガルニアは麻袋へ身を隠す。ここで正体がバレたら、今度こそ私たちはおしまいだ。脈打つ胸を押さえ、息を殺す。
そうして数十分経っただろうか。私たちの前に馬車が通りかかったらしい。大荷物のトファーを御者が見つけたのだろう。馬がいななく。
「おい、そんな大荷物で、たった一人でどうした?」
「さっきの吹雪で馬車が駄目になっちまったんだ。よかったら乗せてくれ」
「それは大変だったな」
トファーの嘘にも気付かずに、御者は私たちの入った物を持ち上げる。
「それにしても、重くはないか?」
「その樽はワイン、木箱は鹿の肉、麻袋は冷凍サーモンだ。重くもなるだろ」
「それもそうか」
持ち上げた感触で気付きそうなものなのに。勘が鈍いのか、人を信じやすいのか。樽が揺れて頭をぶつけてしまいそうになり、慌てて両手で覆う。
本当は生身のままサファイアの城下町に入った方がいいのでは、とガルニアは言っていた。しかし、サフィールは顔が知られている。正面突破しようとしたのでは、すぐに捕まってしまうだろうという結論に至った。
馬車に揺られることまた数十分――車輪と蹄の音が止まる。
「本当にここまででいいのか? 倉庫まで運ぶぞ?」
「いや、雇い主のところまではここの方が近いんだ。ありがとな」
また、樽ごと私の身体が揺れる。悲鳴が漏れそうになったところをぐっと我慢した。
トファーは軽く挨拶を交わし、無事に馬車を見送ったようだ。蹄の音は遠ざかっていく。
「オマエら、いいぞ」
トファーは囁く。入ったはいいものの、出方が分からない。拳で樽の蓋を叩いていると、サフィールが開けてくれた。視界に、一気に光が戻る。
「ぷはぁ~っ」
樽から出ると、空気が新鮮で気持ちがいい。白い息が視界を覆う。
ここは――路地裏だろうか。赤レンガの建物が立ち並ぶ狭い道で、四人で顔を見合わせる。
「ここから二手に分かれるぞ。一晩は宿で待機、明日の十五時にルーゼンベルクで合流な」
「分かった」
小さく指示を出しトファーに、サフィールが頷いてみせる。
トファーは黒い布で、ガルニアは小さな白い仮面で左目を隠している。多少は怪しまれるかもしれないけれど、一発でトライドールとバレることはないだろう。
「ガルニア、行くぞ」
「うん。エルヴァ、サフィール、明日また会おうね」
ガルニアは小さく手を振り、先を行くトファーに追いつこうと地面を蹴る。これが最後の対面にならないことを祈るばかりだ。
「エルヴァ、俺たちも行こう。突っ立ってたんじゃ、怪しまれるから」
「うん」
そして、私たちはトファーたちとは反対方向へと歩き出す。
私は前髪で、サフィールは眼帯で左目を隠している。時折吹く風が私の左目を暴露しませんように。拳に力を入れ、小さく息を吐く。
大通りへ出ても、それほど人通りは多くない。閑散期なのか、寒さのせいなのかは私には分からない。しかし、サフィールに聞く勇気もなく、彼の隣を無言で歩く。
「……あのさ」
突然かけられた言葉に、心臓が跳ねる。サフィールの顔を見上げてみると、少しだけ不満そうな瞳がそこにはあった。
「俺ってそんなに怖い?」
一瞬、何のことを言っているのか分からなかった。数秒考えて気付く。きっと、無言の原因を探っているのだろう。
「う~ん、怖いっていうより……」
「何?」
「何を話していいのか分かんない」
単純に言ってしまえばこうだ。サフィールは「え……」と漏らし、頭を掻く。
「じゃあ……俺からエルヴァに質問。エルヴァは今までどうやって生きてきたの?」
そこを気にするのか。今までのことを頭の中で思い巡らせ、出来事を繋ぎ合わせていく。
「私は、エメラルドの伯爵家で育ったの。一切、外には出してもらえなくて、ずっと自由に憧れてた」
それが私を守ることだとも知らずに、両親には不満ばかりぶつけていたと思う。
「外の世界のことは何も教えてくれなかった。戦争のことも、他の貴族のことも、他の国のことも。だから私には友達はいないし、好きな人だってできたことがない」
思い出すだけで寂しくなってしまう。屋敷の外からは笑い声が聞こえてくるのに、私が輪に入ることはないのだ。拳を握り、軽く唇を噛む。
少し間を置き、少しだけ楽しかったこともあるな、と思い返す。
「でも、世界と繋がる方法が一つだけあったの。それが『本』」
「本?」
「うん。だから流行も追えたし、歴史も覚えたし、トライドールが迫害対象だっていうことは知ることができたの」
「そっか……」
サフィールは遠くを見た後、私の方へと視線を戻す。
「俺も同じようなものだよ」
「えっ?」
「俺は、八歳まで幽閉されてた。兄さんやラジエルのことも知らないままね」
まさか、王子様が私と同じような境遇だったなんて。一瞬だけ呼吸を忘れてしまった。
「それが、いきなり外の世界に放り出されたんだ。前女王……母さんはいつの間にかいなくなってて、知らない間に生まれた妹のラフィラが女王です。しかも、他に二人の兄弟がいます、自由に過ごしてました。なんて言われても、受け入れるのに一年以上かかったよ」
そんなことをされたら、性格が歪みそうなのに。サフィールは私が見る限り、まっすぐ前を向いて生きている。純粋に凄い人だな、と尊敬してしまった。
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