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第26章 黒の瞳 / 第179話
テントに戻った時には、アレクはまだ寝つけずにいたらしい。布団の中にいる彼と目が合った。
「何してたんだ?」
「ちょっとね」
濁してみはしたが、察しているのだろう。アレクは目を細め、吐息をつく。
これを預けられるのは、もう彼しかいない。手にしていた便せんを畳み、アレクの枕元へ置いた。
「これ、預かっててくれない?」
「なんだ?」
「俺に何かあったら……ミユに」
こんなもの、渡したくはない。何かなんてなければ良い。
アレクは苦虫を噛み潰したような顔をし、「クソッ」と呟いた。その痛々しい声が耳に残る。
眠れないのは分かっているが、身体だけでも休ませなくては。俺もアレクの隣の布団に入り、溜め息を吐いた。なんの飾り気もないテントの天井を見ながら、思考を巡らせる。
明日、何か手がかりが見つかるだろうか。見つかるとして、どこに隠されているのだろう。瓦礫の下になっているのか、崩れた本棚に残されていたのか。手つかずのうちに館が廃墟と化したのなら、本棚にあった可能性が高い。本棚の残骸を見つけたら、そこを重点的に探そう。
もし、これが影の罠なら、明日、戦いの火蓋が切って落とされてもおかしくはない。心の準備と覚悟だけはしておかなくては。
これが俺の最後の夜になるかもしれない。そう思うと、またしても涙が零れるのだった。
いつの間にかランタンの明かりは消え、アレクもいびきをかき始める。夜は深まり、眠れぬまま、夜明けを迎えた。テントの入口の隙間から、ほのかな明かりを確認することが出来る。
どうせ、今日はもう眠れないのだ。それならば、こんな探索は早々に終わらせたい。熟睡しているであろうアレク、カイル、ロイを起こさないように、慎重にテントから脱出した。朝特有の清々しい空気を取り込み、深く吐いてみる。それだけなのに、気持ちがだいぶ楽になった。
砂利道を踏み、小道へと入り、廃墟へと辿り着く。本棚があるとすれば書斎だろう。大体この位置かな、と目星をつけて、小さな瓦礫の除去から始めた。
「クラウ!」
数分も経たないうちに、ミユの叫び声が響く。驚いて振り向いてみると、そこには確かにミユの姿があった。
「あっ、ミユ。ごめん、起こしちゃった?」
「ううん。私も朝早くに目が覚めちゃって」
「そっか。そうだよね」
自分の命が狙われているのだから、無理はない。微笑んでみせると、彼女も優しく笑ってくれた。
「私も手伝う」
トコトコと俺の方へやってきて、その小さな素手で撤去作業を開始する。力のある俺が見ているだけでは申し訳ない。若干熱くなった頬を気にしながら、ミユが掴むものよりも大きな瓦礫に手をかける。
体力や魔力なら今まで存分に鍛えてきたが、腕力は別だ。
すぐにミユの腕には疲労が溜まり、限界が来てしまったようだ。小さな悲鳴を上げ、その場に尻餅をつく。
「何もない……」
「一旦、休憩しよう」
「うん」
作業をしている間に離れてしまった距離を縮め、ミユの隣に腰を下ろす。そして、大きな溜め息を吐いた。
「私たち、嘘の情報を掴まされたのかな」
「まだ、そうと決まった訳じゃないから。断定は出来ないけど……」
希望は残されている。胸の片隅に追いやられていたそれを、もう一度膨らませてみたが、やはり萎んでしまう。
ふと、昨日、アリアに笛をもらったことを思い出した。笛の音が聴けるのは、今、この場しかないだろう。
「私……」
「あのさ。これ、アリアに頼んで持ってきちゃった」
「へっ?」
懐から笛を取りだし、元の大きさに戻した。途端にミユの目は見開かれる。
「これの音、聴かせて欲しい。気分転換だと思ってさ」
「えっ? でも、皆起こしちゃうかもしれないし」
「大丈夫だよ。逆に眠れそうだから」
なんとかミユを言いくるめようと必死になる。
「でも、でも、私……」
「何?」
「恥ずかしい……」
今更、何を恥ずかしがることがあるのだろう。顔を赤らめる可愛らしい反応に、思わず笑いが込み上げる。気持ちを押し殺す必要もなくなったので、そのままミユの肩に軽く体当たりした。
「ダイヤでいっぱい吹いてたじゃん」
「そうだけど~」
それなら、少しくらい吹いてくれても良いと思うのだ。ミユが頬を膨らませるので、盛大な笑い声をあげてしまった。
根負けしたのか、ミユは俺から笛を奪い取り、背中を向ける。
「吹くから、見ないでね」
見ないよ。大丈夫だよ。心の中で呟き、瞼を閉じて、彼女が発する音に耳を研ぎ澄ませる。
何度か深い呼吸を繰り返し、無音が訪れる。すっと息を吸い込んだかと思うと、柔らかな聞き覚えのある笛の音が辺りに彩りを与え始めた。ただ違うのは、この音は俺だけのために奏でられているということ――。緊張で震えようとも、息が続かなくても、そんなものは関係ない。ミユは今、俺を想ってくれている。そう考えると、涙が止まらなくなってしまった。視界が霞み、喉の奥が震える。
音が止む。ミユが振り向く前に、腕で顔を擦った。涙の跡は消えただろうか。
「下手……だったよね」
「そんなことないよ。綺麗な音だった」
世界中、どこの音楽を聴いてもこれ以上の感動は得られないだろう。俺を見詰める緑の瞳は大きく揺らいでいる。
もう堪えきれそうにない。
薔薇色に色付くミユの唇を目がけ、自身の唇を重ねた。急のことに驚いたのか、彼女の唇が震える。
ちょっとだけ唐突だっただろうか。反省する気はサラサラない。顔を離すと、にっこりと笑ってみる。
「するならするって言ってよ~」
「あはは」
最初は不貞腐れていたが、彼女もにこっと笑ってくれた。
遠巻きに砂利を踏み締める音が聞こえ始めたが、聞こえないふりをした。
「やっぱあの音、オマエか」
振り向いた先には、六人の仲間の姿があった。ミユは慌てて声を上げる。
「あっ、アレク! やっぱり、起こしちゃった?」
「いや、その前から起きてた」
アレクとフレアは苦笑いをし、こちらに近づいてくる。恐らく、気を遣ってくれたのだろう。二人からは悲哀のオーラも感じた。
二人は俺たちを通り過ぎ、廃墟の奥へ到達すると腕を大きく振る。
「使い魔もこっちに来い! 奥に何かあるかもしれねぇ!」
「分かりました!」
命令を忠実に遂行するように、使い魔たちもその後に続く。
「俺たちも作業に戻ろっか。こっちも手つかずな場所があるし」
「うん」
ミユに触れられた淡い喜びを胸に、壁に沿って瓦礫の撤去を再開した。数分も経たず、瓦礫の中に焦茶の木片が目立ち始める。
「棘が出てるかもしれないから、気を付けてね?」
「うん」
多少、棘が刺さろうとも構わない。ミユと俺の命を救うことになるのなら。
木片からえんじ色が覗いたのは、それから十分もかからなかった。
「本がある」
「えっ?」
周りの木片をあらかた取り除き、埃をかぶった本に触れた。
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