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第11章 聖女を追う騎士 / 第30話
次の依頼人は愛に溢れていた。私にもこんな人がいれば、どれほど救われただろう。
「ソレイユ、今度こそ無理だったら言ってもいいから」
ルーナスは確認の意味も込めて、口を結ぶ。
「大丈夫です。この国の聖女のことは、私は知りませんから」
「でも……」
「大丈夫です」
“本当に大丈夫かな……”
ルーナスは心配しすぎだ。次の想刻の対象者がリルージュ国の元聖女であることは、依頼状を受けてからすぐに伝えられた。彼女は自ら聖女の地位を捨てたのだ。私とは全く違う。
心配するルーナスをよそに、オーレの泥だらけになった服を着替えさせる。
「明日になったら雨止むかなぁ?」
「どうだろうね」
“泥遊びも楽しいけど、やっぱり太陽が出てた方がいいなー”
急に降り出した大雨に打たれて、オーレは慌てて家に帰ってきたのだ。もうすぐ依頼人が来るから、オーレには大人しく遊んでいてもらおう。
着替え終わったオーレは、絵本に手を伸ばす。それを開いたところで、ドアは大きくノックされた。男性は顔を覗かせると、勢いよく頭を下げる。
「よろしくお願いします……!」
「あ、頭を上げてください」
ルーナスまで腰を折り、騎士服を着た男性の様子を窺う。この人が今回の依頼人だろうか。ゆっくりと頭を上げたその人は唇を噛みながら濡れたコウモリ傘を玄関に置き、長い黒髪を掻き上げる。その顔には旅の疲れが浮かんでいるようだ。
「こちらへどうぞ」
ルーナスが男性を室内へ通すので、私もオーレの傍から離れた。当然のようにルーナスの隣に腰掛け、男性と向き合う。
「今回の依頼は、どうか内密にお願いします。私個人の、ただの一方通行ですから」
「心得ていますよ」
“エルネス以外には言ったこともないしね”
ルーナスは男性にうんうんと頷き、そっと微笑んだ。男性も安心してくれたようで、初めて笑みを溢す。
「想刻師殿は、あの聖女様をご覧になったことがありますか?」
「いえ、噂に聞いた程度です」
「それはそれは美しい方なんです。丁度、そこにいらっしゃる奥様みたいに。……ん?」
だから、私は妻ではなく、ただの助手だ。そう心の中で反論しようとしたところで、男性の薄緑の瞳は私をじっと見詰めるのだ。
「どうかなさいましたか?」
訝りながら、口を開いていた。まさか、私が元聖女だとバレてしまっただろうか。いつの間にか速度を上げる心臓に、生唾を呑み込んだ。
男性は咳ばらいをし、目線を整える。
「いえ、聖女様のような美しい銀髪の女性は、聖女様以外に初めて見たもので。ちょっと驚いてしまっただけです」
全然『だけ』ではない。私の心臓を握りつぶさんばかりの衝撃だ。言い返す言葉に詰まってしまい、目線を落とす。
「彼女は私と二年ほど一緒に暮らしています。貴方が思っているようなことはないと思いますよ」
「……失礼しました。銀の髪は神聖的な色と言われていますので。勘ぐるようなことをしてしまいましたね」
ルーナスの咄嗟の機転に、何とか命拾いした。男性は改めて私に頭を下げる。
銀髪と言っても、必ず聖女というわけではない。頭では分かっているのに、心が焦ってしまう。
“嘘、バレてないよね?”
ルーナスの表情は変わらないのに、心の声は震えている。依頼人を注視してみたものの、それ以上に深入りしてくる気はないようだ。その瞳はルーナスの方を見ているようで、さらに先の遠くを眺めていた。
「ローランさん、で大丈夫ですか?」
「はい。そのように呼んでください」
依頼人――ローランは儚く笑うと、そっと目を伏せる。
「私が友人を紹介しなければ……聖女様はあいつと出会っていなければ、今でも聖女として君臨されていたと思うんです」
「それは……どういう意味でしょう?」
ルーナスが聞き返すので、私も首を傾げてみせた。
「聖女様は、私の友人と駆け落ちしたのです」
ローランは俯いたまま、目を瞬かせる。
駆け落ち――聖女ともあろう者が、恋に身を焦がして逃走したというのだろうか。ルーナスも口を小さく開け、言葉を紡げずにいる。
“この町に降りかかった厄災は……ただの恋のせいなのか? たった一人の恋のために、俺たちは苦しんだのか……?”
怒りとも、悲鳴とも取れる心の声に、胸が打ち震える。そうだ、この町の人たちは聖女の加護がなくなったせいで苦しんできたのだ。それをローランは分かっているのだろうか。ルーナスに対してあまりにも配慮がない物言いに、私までもが胸が締め付けられる。
「……すみません。こんなこと、教会で懺悔すべきですよね。聞かなかったことにしてください」
ローランは小さく首を横に振り、目を閉じてしまった。ルーナスもテーブルの下で拳を握り締めている。
私がなんとかしなければ、ルーナスが依頼を蹴ってしまう可能性さえある。
「そろそろ想刻に移りませんか? 私たちが聞き届けるには重すぎますから」
「申し訳ありません……」
ローランも深々と頭を下げる。ルーナスは頭を振り、大きく息を吐く。
“依頼は依頼だ。この人が悪いわけじゃない。割り切らないと”
その言葉通りにスケッチブックを広げ、口角を上げた。ただし、目は笑っていない。
「聖女様の顔を俺に教えてください」
「はい、面長で、清楚な印象です。目は丸くて優しくて――」
ルーナスはいつも心を無にして似顔絵に神経を削る。しかし、今日は違っていた。
“どうして聖女様は……。何で……”
いつもよりも筆圧も濃い気がする。鉛筆が滑る音が硬いのだ。
出来上がった似顔絵は、まるで天使の写しであるようでもあった。にこやかに細められる丸い目、通った鼻筋、柔らかく微笑む唇――そのどれもが私には似ても似つかぬ聖女像だった。
「また五日後に取りに伺います。余計なことを吹き込んでしまって、申し訳ありませんでした」
ローランは玄関で丁寧に頭を下げ、コウモリ傘を差す。雨粒が傘に跳ねる音がやけにうるさく感じる。白んだ空気に、ローランはあっという間に解けてしまった。
「ごめん、ソレイユ。取り乱したりして」
“大丈夫じゃないのは俺の方だった”
取り乱さない方が、心が死んでしまっていると思うのだ。ぶつけるところのない怒りを飲み込むように、ルーナスは鋭い目のまま喉仏を動かした。
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