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第11章 聖女を追う騎士 / 第31話
夕方になっても、雨は止まない。窓に叩き付ける雨音を聞きながら、今日の夕飯を考える。グラタンを作ってみようか。レシピ本に手を伸ばし、ページを捲る。
意外とグラタンは工程が多いらしい。今の私には無理かもしれないと、次のページを捲った。ピーマンの肉詰めだ。今日はやはりこちらにしよう。オーレも喜んでくれるだろうか。
キッチンからリビングに目を遣ると、オーレはルーナスに飛びかかっていた。取っ組み合いの遊びでもしているのだろうか。その証拠に、二人の顔は明るい。笑い声も聞こえてくる。
そこへ玄関の方からノックの音が聞こえたのだ。こんな時間に客が来るのは珍しい。
私が対応しようと玄関へ向かう。ドアを開けると、そこには暗い表情のエルネスがいた。
「お邪魔させてもらうよ」
ぼそりと呟き、白い傘を畳む。オーレはエルネスの姿を見つけると、すぐに床を蹴った。
「エルネスだー!」
オーレはエルネスに飛び付き、目を輝かせる。しかし、エルネスの表情は沈んだままだ。
「ごめん、オーレ。俺、ちょっと嫌なことがあってね」
「嫌なことー?」
“ぼく、話を聞いてあげられるかな?”
エルネスはオーレの頭を撫でると、まっすぐにテーブルへと向かう。椅子に座ると頬杖をつき、盛大な溜め息を吐いた。その横にオーレも座る。
それをよくは思わなかったのだろう。エルネスはオーレに目を向け、口角を上げながら口を開く。
「ここからは大人の話だよ。悪いけど、オーレは部屋で待っててくれないかな」
「えー?」
“エルネスまで、ぼくに聞かせられない話ー?”
一歩遅れてテーブルに辿り着いた私とルーナスにまで、オーレは頬を膨らませる。
きっと、エルネスには事情がある。そう確信し、オーレに目を向けた。
「今日はピーマンの肉詰めを作ってあげるから。いい子で待ってたら、プリンもつけてあげる」
「プリン⁉」
“美味しいものがいっぱい……!”
オーレは目を輝かせ、小さな拳を握る。
「約束だからねー!」
そう言うと、くるりと身を翻して自分の部屋まで駆けていく。ドアが勢いよく閉じられ、部屋が静まり返ったところでエルネスは重たい口を開いた。
「……今日、教会に珍しく懺悔をしに来た奴がいてね。内容が内容なだけに、ここに来させてもらった」
「まさか、懺悔の内容は俺に言わないだろ?」
「言うわけないだろ。これでも一端の聖職者だからな」
エルネスは二度目の溜め息を吐く。今日の依頼者――ローランの言葉が蘇る。『こんなこと、教会で懺悔すべきですよね』と。教会に行った人物がローランである可能性は非常に高い。
「……その人、騎士じゃありませんでしたか?」
妙に落ち着きながら、エルネスに質問していた。エルネスは、はっと私の方を向く。
「どうして知ってる?」
「その方、今回の想刻の依頼者です」
私が答えると、エルネスは苦い表情をし、舌打ちをする。長い銀の前髪を掻き上げ、背凭れに寄りかかった。
「じゃあ、その騎士の事情はルーナスとソレイユも知ってるのか?」
「おおよそね」
ルーナスも眉間にしわを寄せ、深い息を吐く。これで互いに隠す必要はなくなった。
「真相を知ったところで、俺たちにはどうしようもない。でも、割り切ることなんてできなくてな」
「それは俺も同じだよ。正直言って、今回は想刻が乱れないとも限らない」
エルネスは天を仰ぎ、ルーナスは頭を抱える。私はこの村の悲劇の全てを知っているわけではない。だからこそ、二人の感情に入り込む余地がない。
「私、そろそろ夕飯を作ってきますね」
一旦、席を外す選択をした。立ち上がり、キッチンへと向かう。指の傷は跡が残ったものの、支障はなくなった。野菜を切り、炒め、挽き肉と混ぜ合わせる。それをピーマンに詰め、フライパンで焼いていく。
油が跳ねる音に紛れ、ルーナスとエルネスの会話が聞こえてくる。
「俺は、王都教会を告発すべきだと思う。ただの恋が何十人、何百人の命や生活を脅かしたんだ。町長に嘆願書も出す」
「それはやり過ぎじゃないか? 確かにただの恋だ。それは俺も思ったけど……聖女に自由を与えなかった俺たちにも非はある」
「聖女に自由を与えなかったのは王都教会だろう」
聖女に自由がないのは、どの国も同じだ。私だって、自国で外出は愚か、教会の者以外との私的な接触も禁止されていた。王都教会を告発したところで、教皇の心にはこれっぽちも響かないだろう。
「……無駄です」
ルーナスとエルネスの方へ振り向き、声を張っていた。告発を唱えたエルネスは眉をひそめ、拳を握り締める。
「どうしてソレイユがそう言い切れる? この町のことも、ましてや教皇のこともほとんど知らないだろ?」
「はい、知りません。でも、理解はできます」
「どうして?」
言うべきか迷った。もしかすると、この生活が壊れるかもしれないとも考えた。でも、エルネスが私を完全に見捨てるとは思えなくなっていた。
このままリルージュ国の王都教会に突き出されるかもしれない。危険は承知で、目を伏せる。
「私はタンベルン国の元聖女なんです」
エルネスはゆっくりと瞬きをする。まるで、時も止まってしまったかのような感覚だ。
「……ルーナス、知ってたのか?」
「うん。知った上でこの家に置いてる」
エルネスは立ち上がり、縋るような目を私に向けた。私が嫌っていた、自分のことしか考えられない目だ。エルネスに対する希望は萎んでいく。
「それなら話は早い。君の加護で、この国を守ってくれ」
「それはできません」
「えっ?」
今度はエルネスの目に宿った希望の光が消えていく。それに構うことなく、口を開いた。
「私には加護がないんです。できるのは心の声を聞くことだけです」
「……そういうことか」
何かを納得したのか、エルネスは椅子に座り直した。両手で顔を覆い、俯く。
「聖女って言っても、『加護の聖女』と『心の声を聞く聖女』がいる。それならソレイユ。俺の心の中を当ててみてよ」
「ソレイユ、遠慮はいらないよ」
“俺は味方だから”
エルネスに続いて、ルーナスも優しい眼差しを送ってくれる。しかし、それも私にはできないのだ。
「私には……できません」
言い切ると、ルーナスは目を丸くした。
「どうして?」
「エルネスの心の声だけ……聞こえないんです」
部屋にはピーマンの少し焦げた匂いが広がり始める。それにも気付かないほど、私たちの心は揺れていた。
* * *
「ピーマン焦げてるー」
「オーレ、ごめんね」
私が手を合わせて謝ると、オーレは大きく頷いてくれた。
「プリンがあるならいいよー」
“オーレは単純だな”
ルーナスとエルネスも微笑ましく口角を上げる。
さらに雨足が強くなったので、エルネスは泊まっていくことになったのだ。こうして四人で食卓を囲むのは初めてだろう。
「エルネス、後で一緒にお風呂に入ろー?」
「いいぞ」
「やったー!」
“今日は楽しいことがいっぱいだー!”
オーレはルンルンで食事を進める。その様子を見ているだけで、私までもが楽しくなってくる。先ほどの緊張はどこへいってしまったのだろう。
あっという間に、皿のピーマンの肉詰めはなくなり、プリンまで平らげた。
「ご馳走様でした」
挨拶を済ませると、オーレは風呂へと走る。エルネスもバスタオルを持って、その後を追った。二人の姿が消えたのを確認して、ルーナスは口を開く。
「ソレイユに心の声が聞こえない相手がいるなんてね」
「私も最初は驚いたんです。初めてのことでしたから」
「えっ?」
“エルネスが特別……?”
そう、特別なのだ。だからこそ、どう扱っていいのか分からない。頷き、指先に力を入れる。
「心の声が聞こえないことが、こんなに不安だとは思いませんでした」
他人の普通が、私の異常――エルネスに出会ったことで、嫌でも思い知らされた。
「もしかしたら、エルネス自身が何か知ってるかもしれない。後で聞いてみよっか」
「はい」
先ほどは知っているとは思えない反応だったけれど、期待してもいいのだろうか。口を結び、汚れだけが残った皿を見詰めるしかなかった。
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