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第14章 本物の英雄 / 第39話
その人は唐突に訪れた。短い黒髪を掻き上げ、おやつを楽しんでいた私たちをグレーの瞳で申し訳なさそうに見る。
「時間が悪かったかな。ルーナスにちょっと話があってね」
紺のスーツにトランク――見るからにただの庶民ではない。
「町長……! どうしたんですか?」
「想刻師としての君に頼みたいことが」
ルーナスに町長と呼ばれた人は、にこやかに微笑む。どうやら仕事の話らしい。ドーナツを掴んでいたオーレを何とか宥めてみる。
「オーレ、部屋で待ってて」
「えー? ドーナツがまだいっぱいあるのにー」
オーレは頬を膨らませ、皿に盛られたチョコレートドーナツを睨みつけた。
「全部、持って行ってもいいから」
「本当ー?」
オーレの瞳が一気に希望を持ち始める。私がドーナツの皿を持ち、オーレと一緒に彼の部屋まで行く。
「ポチャと一緒にいい子にしててね」
「うん!」
ドーナツを独占したオーレはすっかり上機嫌だ。彼はにこっと笑うと、静かにドアを閉めた。私も三人分のアイスティーを用意し、席へと戻る。すると、何故か町長は私を品定めするように見た。
「君がソレイユ、だね? 隣国の元聖女の」
「えっ?」
どうしてそれを知っているのだろう。ルーナスが言い触らすとは思えない。それならオーレ――なのだろうか。
ルーナスも心の中で同じ疑問を持っている。表情も一気に硬くなってしまった。
「我が国の聖女のことで、王都教会を告発した方がいいと申告があってね。その時に、ちらっと耳にしただけだ。君のことは誰にも言わないよ」
違う、エルネスだ。町長に信用があるからなのだろうけれど、無断で言うのはやめてもらいたいものだ。肩の力が抜け、息が漏れる。
町長は咳ばらいをし、話を繋げた。
「もしかすると、国がこの町を見に来るかもしれない。その時のために、厄災の復興の象徴が欲しいと思ってね」
「ユリオン、ですか?」
「ああ。是非、町の広場に彼の石像を作って欲しい」
ユリオン――度々ルーナスから聞いていた、本物の英雄の名だ。話の中だけの存在が、現実に姿を現す。それだけで胸が高鳴るのを感じていた。
しかし、ルーナスは口を曲げてしまう。
「でも、今は一時休業中で」
「そこを何とか頼む」
町長は深々と頭を下げる。私としては、せっかく取れた休暇なのだ。ルーナスにはしっかり身体を休めてもらいたい。
そこへ、町長の心の声が響く。
“この事業は失敗させるわけにはいかない。ユリオンの功績と、この町が強いられた苦難を世に知らしめるチャンスなのに”
私ははっきりと言ってしまうと、政治には興味がない。生活さえ安定していればそれでいい。でも、町の人たちの思いが乗っているとなれば、話は別だ。
「ルーナス、依頼を受けましょう。その価値があると思います」
ルーナスを見詰めると、揺れる視線が返ってきた。
“町長の心を読んだんだね?”
ルーナスの問いに答えるように、小さく頷いてみる。
「……分かりました。受けましょう」
「君ならそう言ってくれると思っていたよ。ユリオンのことは君がよく知っているだろうから、あとは任せたよ」
「はい」
笑顔が交わされ、依頼が成立した瞬間だった。町長は契約書を取り出すと、ルーナスにサインを求める。
そして、何故か一枚の紙を私に差し出した。
「あと、君にもサインをもらおう」
「私ですか?」
「ああ」
その紙を見てみると、住民票の届け出だった。そういえば、私は町に無断でここに住み着いていたことになる。流石にこれは書かなければいけないだろう。
氏名欄にソレイユ・フォルテと丁寧に書き記す。住所は分からないので、ルーナスに任せた。
「これで君宛の手紙もここに届くようになるよ」
町長は笑うけれど、私宛の手紙なんてきっと来ない。それでも、私の居場所が正式に認められたのだと酷く安心するのだった。
* * *
町長の来訪から七日後、公園に石膏が運ばれたとの通達があった。私も街中に出るかどうか、かなり迷ったのだ。もし、この目でユリオン完成を見届けられなければ、きっと後悔する。ルーナスが施した想刻は、私の仕事でもある。ちょっとした自負が私を突き動かした。
「疲れたら、ここに帰ってくること。ソレイユ、オーレ、約束できる?」
「はい」
「分かったー!」
微笑むルーナスに、オーレと二人で元気よく返す。旅行の時と同じように、手の中には日傘とトランクがある。バッグの中身は着替えなどではなく、食事と飲み物だ。ルーナスとオーレも帽子を被り、日除け対策はばっちりだろう。
三人並んで獣道を抜ける。目に飛び込んできたのは、長閑な小麦畑だ。秋の収穫に向けて、まだ夏の緑の穂を抱いている。
そして、決意を固める。町に入れば、心の声は容赦なく私を襲うだろう。唇を引き結び、息を詰めて町の門をくぐる。雑踏と共に、がやがやとした心の声が集団で耳に届く。
“あーあ、何で昨日はあんなこと言っちゃったんだろう”
“ああ、忙しい。前の人、さっさと歩いてくれないかな”
“最近、晴れの日が続いてるな。過ごしやすい”
久しぶりに大量の心の声を聞いたせいか、頭が割れそうだ。
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