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第15章 沈黙のエルネス / 第42話
「俺、初めて自分のために想刻をしたいって思った」
夕食中に、唐突に発せられたルーナスの言葉は、私とオーレに疑問符だけを残す。
「ルーナスにも忘れられない誰かがいるんですね」
全然、不思議なことではない。離れてしまった親だって、友人だって、もしかしたら元恋人だっているのだろうから。
ところが、ルーナスが語ったのは意外な人物だったのだ。
「ソレイユを想刻したい」
「えっ? 私……ですか?」
「うん」
私はここを去るとは言ったことがないし、離れる予定もない。オーレも心の中で混乱している。想刻の趣旨とずれてしまうと思う。
「どうしてですか?」
「確かに、今までは自分の傍からいなくなってしまった人だけ想刻してきた。でも、傍にいても、時間が経てば姿かたちは変わってしまう。俺は、出会った頃のソレイユを想刻に閉じ込めたいと思ったんだ。駄目かな」
ルーナスは頭を掻きながら、若干、頬を赤く染める。
「そういうことなら、私は構いません。ルーナスの思うままに想刻してください」
「ありがとう」
“ソレイユが自分の意見を言えるようになるほど、遠くに行ってしまう気がしてたんだ”
ルーナスは決意を固めたらしい。テーブルの上に置かれた手は、静かに拳になる。
「でも、明日は休んでくださいね?」
「えっ?」
ユリオンの石像という大作を作ったにも関わらず、休みなしで想刻をしようとしていたのだろうか。ルーナスのあまりの真面目さに、溜め息が漏れてしまう。
「明日はカトラリーと鉛筆以外、持つのは禁止です」
「そんなぁ……」
「ルーナス、しょげてるー!」
オーレが項垂れるルーナスを見て大笑いするので、私もぷっと息を吐き出してしまった。しかし、まだ頬は動かない。
それなのに、ルーナスとオーレは私を見て、太陽のように笑うのだった。
翌日の朝、窓の外に白い服の男性の姿が映った。ほどなくしてドアがノックされる。
「おはよう。三人とも起きてる?」
顔を覗かせたのはエルネスだった。目の下にはクマを作り、背中を少し曲げている。あまり生気はない。
「オーレは寝てるけど……って、エルネス、やつれてないか?」
「一人で抱えるには大きすぎる事実が発覚したからね。ちょっと寝不足なだけだよ」
エルネスは歯磨きをするルーナスと箒を持つ私の間を通り抜け、テーブルに着く。そのまま両手を伸ばして突っ伏した。気にするなというには無理がある。掃除もそこそこに、ルーナスと私もテーブルへと向かった。
「ソレイユに心の声が聞かれない理由でも分かったのか?」
「そんなところだよ」
エルネスは肩で大きく息を吐き出す。
「……ソレイユ。聖女の力が暴走したことは?」
「暴走……ですか?」
頭を捻り、過去のことを思い返してみる。私の能力と言っても、心の声を聞けることくらいしかない。暴走と言われても、暴走するような能力がないのだ。
「私には経験がなさそうです」
「そっか……」
エルネスは、ようやくむくりと頭を持ち上げる。頬杖をつき、気怠そうに視線を落とす。それから何も話そうとはしない。
“エルネス、どうしたんだ……?”
ルーナスと同じような疑問が私の心にも広がっていく。
「一人で抱えるには大きすぎるんだろ? 話してくれてもいいんじゃないか?」
こんなにも憔悴したエルネスを見るのは初めてなのだろうか。ルーナスの瞳は小刻みに揺れている。私も同調するように頷いてみせた。
「……聖女がいても、俺のせいでこの町は厄災に襲われてたかもしれない」
エルネスはゆっくりと瞬きをする。少しだけの沈黙が妙に重たかった。
ルーナスは分からないと言いたげに首を横に振る。
「どういう意味だ?」
エルネスは視線を上げることなく、何度か口を動かす。それも声にはならず、誰にも届かない。時計の針が動く音だけが部屋に響く。
少し間を置き、エルネスはようやく小さく声を出す。
「『加護の聖女』と『心の声が聞こえる聖女』が同時に生まれる時、もう一人の『聖者』が生まれるそうなんだ。教会に残ってた書物の通りならね」
弱々しいエルネスの声は、さらに先を続ける。
「その『聖者』の能力は、聖女の力の抑制。特徴は俺と一致する」
そういうことか。私は僅かに口を開けていた。エルネスは冷笑する。
一方で、ルーナスは首を傾げて口を曲げた。
「聖女の力を抑制するから、心の声が聞こえない……?」
「そういうこと。同時に、こうも考えられる」
エルネスは深く息を吐くと、小さく息を吸い込んだ。
「俺がいたから、この町にはそもそも加護が届いてなかったんじゃないかって」
ルーナスが小さく息を吸う音が聞こえた。それから、空気の動きが止まってしまったように感じる。この町は、グロリアが消えたから厄災に襲われた。町の人たちどころか、国中の人たちがそう思っているだろう。でも、エルネスの仮説が正しいのだとしたら、グロリアが失踪しなかったとしても、この町は厄災に襲われていたことになる。
教会に告発したばかりでの、この事実の露見は痛手だ。
「教会はエルネスの力のことは知ってるのか?」
「分からない。でも、知ってる可能性は高い。銀髪は大抵、王都周辺の教会を任されるのに、俺だけ辺境って……都合がよすぎだろ」
ルーナスは唸り、エルネスは両手で頭を抱える。
私はエルネスに何と言ってあげられるだろう。聖女の力がある私だからこそ、伝えられる何かがあると思うのだ。
「エルネス」
「何?」
しばしの沈黙が、私を緊張させる。手には汗を掻き始めてしまった。
「私は、能力を持っていいことなんてないと思ってました」
エルネスは私の言葉に視線を落とす。
「でも、今はルーナスの仕事の役に立てています。エルネスの能力だって、絶対に意味があるはずなんです」
「……例えば?」
「例えば……私です。エルネスの心の声を聞けないだけなのに、普通の人がどんな日常を送ってるのか、ちょっとだけ分かりましたから」
エルネスは返事をしない。ただテーブルを見詰め、口を引き結んでいる。そうしている間も、エルネスの頭には『聖者』の重りがのしかかっているのだろう。
グロリアは恋のために失踪している。『もしも』を考えない人間はいない。心の声は聞こえなくても、今だけはエルネスの心中が手に取るように分かるようだ。
もし、聖女が逃走していなかったら。もし、自分が本当に聖者だったら。もし、聖女の力を全て抑制していたら――聖女がいても、厄災は自分のせいで起きていただろう。きっと、そう考えている。
“エルネスは、絶対に自分を責めてる。じゃなかったら、目の下にクマなんか作ってない”
ルーナスも私と同じように唇を噛み締めている。しかし、本人が否定するのでは、フォローには回れない。両手で思い切り拳を作った。
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