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第5章 遠くを見る彼女 / 第14話
雨上がりの曇り空の下で、また小鳥の声が響いた。洗濯物を干し終わったところで、想刻をするルーナスの元へと歩み寄る。
「また、見ていてもいいですか?」
「もちろん」
会話をしていても、ルーナスの集中が途切れることはない。目以外のパーツを彫り終わった顔は、柔らかな微笑みを湛えている。
「次は身体ですね」
「うん」
ルーナスは木の下部に、慎重にノミを入れていく。
「顔と違って、身体は今後、いくらでも変わる。だから、あんまり写実的にはしないようにしてるんだ」
だから、聞き取りの時は顔を事細かく聞いていくのに、身体つきの話は一切しなかったのだ。想刻は『今』を切り取るのではなく、『想い』を形にする。そういう仕事なのだと、すっと心に馴染んだ。頭にかかった僅かな靄が晴れていく。
「それで今回は、ライラが俺に伝えてくれた一番優しい記憶って何だと思う?」
「優しい記憶……」
覚えている限り、私の中での『優しい人』の記憶はルーナスとオーレだけだ。二人の記憶――鮮明すぎて思い出と呼べるものではないけれど、二人の顔を思い浮かべてみる。
「笑顔……」
「そう、笑顔なんだ。その中でも、強烈なのは『目』」
言われてみると、そうなのかな、と思うことはできる。でも、まだ私の中では曖昧だ。
「だから一番、目には気を遣う。その人の命だし、依頼人の記憶そのものだから」
“っていっても、ソレイユは想刻しないから余計な説明だったかな”
ルーナスは手を止めないまま苦笑いをする。
「そんなことありません。私だって、想刻を見送る側の人間ですから」
私はただ、依頼人の心の声をルーナスに届けるだけだ。それでも、徐々に私にも想刻の仕事に誇りが芽生えている。
「ソレイユが来てくれたお陰で、俺は孤独な芸術家じゃなくなりました。ありがとう」
「いえ……」
感謝をすべきなのは私なのだ。住まいだけではなく、私の心の居場所まで提供してくれた。こんな時に笑顔を作れないのが心苦しい。ふと、視線が窓の方へと逃げてしまった。
「今日の夕飯は何?」
「カツレツです」
“ソレイユも料理が上達してきてるし、期待できそうだ”
「期待は……しないでください」
思いを押し付けられていいほど、まだ私の料理は上手くない。首を横に振り、視線を落とす。頬が僅かに熱を持っていくのが分かった。
約束の日は雨だった。薄ピンクの傘を差したライラの姿が窓の外に映る。
「ルーナス、来ましたよ」
「うん」
ルーナスはまだ歯ブラシを咥えているところだった。急いで口を濯ぎ、玄関へと向かう。そして、ほどなくして玄関のドアは開かれた。
「あっ」
ルーナスとライラの声が重なる。
“ぶつからなくてよかった……”
心の声までもが重なった。
「ライラだー! 想刻できてるよー!」
無邪気なオーレはそちらへ走り寄り、ライラのスカートの裾を掴んだ。
「お邪魔します」
「どうぞ」
テーブルには青い布に包まれた想刻がすでに鎮座している。それを見たのだろう。ライラの表情は少しだけ強張った。深刻な内容だと察したのか、オーレは自分から玩具の方へと駆けていった。
“どんな風に出来上がったんだろう”
ライラは胸に手を当て、椅子に腰掛ける。じっくり想刻を見詰めると、喉が動いた。
「どうぞ、布を剥がしてみてください」
ルーナスが囁くと、ライラは震える手を前へと伸ばす。
“想刻師さんだもん。きっと大丈夫”
ライラは目を細めると、ゆっくりと布を捲っていく。徐々に表れた想刻の顔に、薄紫の瞳は揺れる。
“どうしよう……。あの頃のあの人だ”
ライラは両手を口元へもっていくと、その瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
“ケイル……”
ようやく想い人の名前を聞くことができた。名前の付いた想刻が、途端に意味を持つように感じられる。
「私たち、幼馴染なんです」
ライラはぽつりぽつりと話し始めた。
「十歳くらいの頃が一番楽しかった。最近、口喧嘩が多くなってしまって、それなのに私の誕生日プレゼントを買いに行くって言い残して消えてしまって……」
何となく、行方不明当時の姿を留めておきたくない理由は見えてきた。一人で抱えるには重すぎただろうに。ライラの背中を撫でてあげたくなる衝動に駆られる。
「……私、いつまでも探そうと思います。きっと生きてるって信じてるんです」
涙で濡れながらも、ライラの瞳には芯が宿っているようだ。
「本当にありがとうございました」
しかし、私が完全にライラを理解できているわけではない。深々と頭を下げるライラに、労いの言葉は浮かんでこなかった。
ライラはまだあどけなさの残る笑みを湛えた想刻を大事そうに抱き、傘を差す。その後ろ姿を見ながら、私はルーナスに囁いていた。
「私、ライラに何も言ってあげられませんでした」
「うん」
「こういう時、なんて声を掛ければいいんでしょう」
ルーナスは唸りながらも、顔は前を向いている。答えは既に手の中にあるようだ。
「言葉なんていらないよ。想刻が全部を補ってくれるから」
その言葉にはっとさせられる。少しだけ、想刻の意義が見えた気がした。
ライラの未来にはケイルが待っているのだろうか。それだけが気がかりだった。
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