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第5章 遠くを見る彼女 / 第13話
休憩は一瞬で終わってしまった。さっとテーブルに戻ると、ルーナスは似顔絵と向き合って息を詰める。
「じゃあ、再開しますね。もう一回、目の形を伺ってもいいですか?」
ルーナスの真摯な対応に、ライラの心も変わっていく。
“想刻師さんが真剣なんだもん。私だって、真剣にならなくちゃ”
言葉の癖はなくなっていないし、上手くだってなっていない。それでも似顔絵を描き続けるルーナスが声を掛けることなく、徐々に指示を出すようになっていた。
息が詰まる空気に、時間の感覚はなくなっていく。似顔絵を完成させる前にオーレが帰宅してしまった。
“今日の夜ご飯は何だろうー”
のんびりした心の声が聞こえ、玄関のドアが開く。
「ただいまー!」
「おかえり」
オーレに挨拶を返したのは私だけだった。オーレはライラの姿を見つけると、ぺこりとお辞儀をする。
「いらっしゃいませー」
「あっ、お邪魔してます」
“可愛い。……あれ?”
ライラに初めて笑顔が見えたものの、オーレの何かが引っかかるらしい。その目が一段と柔らかくなった。
“……ん? もしかして、オーレがいる方がライラの緊張も解れる?”
ルーナスの心の声に、私もはっとさせられる。そうと分かれば、やるべきことは決まっているだろう。ルーナスと頷き合い、オーレを見る。
「オーレ、明日は俺の仕事を手伝ってくれないか?」
「お願いします」
私たちが手を合わせると、オーレはきょとんと首を傾げた。
「何すればいいのー?」
「いてくれるだけでいいんだ」
“ルーナスのお仕事を見られるの……?”
オーレの瞳は段々と光を蓄えていく。
「いいよー!」
元気いっぱいの声が部屋に響き渡る。よし、これで今回の依頼も軌道に乗るかもしれない。
「ライラさん、続きは明日にしましょう。日も暮れてしまいます。暗くならないうちに」
「はい……」
“私の伝え方が下手だからだよね”
ライラの表情は再び沈む。暗い気持ちを抱えたまま、家路につかせたくはなかった。
「ライラさん、明日は言葉だけじゃなくて、身振り手振りも交えていいですから」
少しだけのヒントを置く。
“身振り手振り……”
ライラは胸に手を当て、口を開ける。
“明日、また頑張ってみよう”
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いしますね」
ライラとルーナスは丁寧にお辞儀をする。これではまた挨拶合戦が始まってしまいそうだ。
「そろそろご飯を作らないといけませんので」
予定を伝えることで、ライラの撤退を促した。彼女はおどおどしながらも、トランクを持って玄関へと急ぐ。
「お姉ちゃん、またねー!」
一番にライラを見送ったのはオーレだった。私とルーナスもオーレの後ろに立ち、ライラの姿が見えなくなるまで手を振った。
* * *
オムライスを食べてベッドに入り、静かな夜を越す。朝が通り過ぎ、昼下がりはやってきた。
遠慮がちなノックが響き、ライラが顔を覗かせる。
“オーレくん、いるかな……”
「すみません」
「はーい! どうぞ、お掛けください」
オーレは遊びながらルーナスの足にしがみついている。ライラを見つけると手を放し、ぺこりと頭を下げた。
「いらっしゃいませー」
「はい」
ライラは笑顔を見せ、おしとやかに椅子へと腰掛ける。
今日も持久戦になるだろう。覚悟を決め、オーレがいるので四人分のぶどうジュースを用意する。昨日とは違い、ライラの隣にはオーレが座った。
ライラはオーレに目を向け、口角を上げる。
“やっぱりそうだ。オーレくんの顔、あの人に似てる”
「お姉ちゃん、どうしたのー?」
「ううん、何でもないよ」
“クリクリの目……可愛いなぁ……”
ライラの笑顔は柔らかく、温かい。
ルーナスも小さく笑い、スケッチブックを広げる。昨日は未完成で終わった似顔絵が姿を現した。ライラは申し訳なさそうに首を横に振る。
“私の心の中にいるあの人は、今を見てる人じゃない”
「ごめんなさい、やっぱり描き直して欲しいんです」
「いいですよ」
ルーナスは嫌な顔一つせず、次のページを捲る。そこで、ライラは言い淀む。
「あの……」
「どうしました?」
「こんなことを言っていいのか分からないんですが、あの人の顔がオーレくんにそっくりなんです」
「えー?」
オーレがライラの方に振り向いたので、二人は見詰め合う形となった。ライラの頬は桜色に染まっている。
「オーレくんの顔、参考にさせていただいていいですか?」
「ええ、もちろんですよ」
ルーナスが答えると、ライラはオーレに顔を近づけ、じっくりと見る。
「輪郭は卵型……そこまでは合ってるんです」
ルーナスの鉛筆がすぐさま反応した。繊細な線が流れるように現れる。スケッチブックの中央に、迷いのない輪郭が描かれた。
「目はオーレくんそのまんまなんです」
「オーレ、こっち向いて」
「んー」
“いてくれるだけでいいって言ってたのにー……”
不満があるのか、オーレの表情に笑顔はない。何とかオーレのあどけない表情を引き出さなくては。
「オーレ、終わったらポテトチップ作りますね」
「ホント⁉ やったー!」
“ポテチ! ポテチ!”
一気にオーレの笑顔が弾ける。ポテトチップ作りが上手くいくかは分からないけれど、精一杯美味しくなるように頑張ろう。
“ソレイユ、ありがとう”
ルーナスもちらりとこちらを見て微笑んでくれた。それも束の間、職人の顔になって目を描いていく。
「鼻はどうですか?」
「オーレくんみたいに小さくはないんです。でも、鼻筋は通ってて、ぷっくり感は似てて」
ライラは両手の人差し指で弧を描く。それをそのまま紙に移すように、ルーナスは鉛筆を走らせる。
ライラは終始、オーレを基準に説明していた。ポテチ効果なのか、オーレもご機嫌なままでいてくれた。
しかし、完成には違和感が残る。
「これは……」
“どう見てもライラが言ってる『あの人』じゃない”
ルーナスと二人で息を呑む。これは、ライラの想い人がいなくなってしまった瞬間を切り取った似顔絵ではないのだ。
「この頃が、あの人と一緒にいて一番幸せだったんです」
「そういうことですか……」
ルーナスは何度か頷き、今一度、似顔絵に視線を落とした。
「いい想刻ができそうです。五日後、またいらしてください」
「分かりました」
ライラは立ち上がり、丁寧にお辞儀をする。
「よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
ルーナスも頭を下げ、またしてもお願い合戦が始まりそうな気配だ。
「ポテトチップ作りましょうか。オーレ、味付け手伝ってくれますか?」
「うん!」
それとなく仕事は終わった雰囲気を出し、ライラを促してみる。
夕焼けに馴染むように、ライラは家路についた。この想刻はきっと上手くいく。私が想刻をするわけでもないのに、確信めいた自信が顔を覗かせるのだった。
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