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第8章 別れたくなかった友 / 第23話
想刻を受け渡す日も雨が降っていた。友と再会できないことを悲しんでいるような大雨に、ジェイクは到着できるのかと案じたほどだ。オーレを外に出すのも控え、今日は積み木で遊ばせている。
「オーレ、投げたら駄目だぞ?」
「投げないよー!」
微笑むルーナスに、オーレは頬を膨らませる。思い遣りのある子だから、お客様に粗相をすることはないだろう。ルーナスは青い布に纏われた想刻をテーブルに置き、一息つく。
ほどなくしてドアはノックされた。
「こんにちは」
ジェイクはびしょ濡れのコウモリ傘を持ち、足元を濡らしている。
「大変だ……! ソレイユ、タオルと温かい飲み物を」
「はい」
風邪を引いてしまう前に、身体を温めなくては。バスタオル数枚とホットコーヒーを用意し、ジェイクに渡す。
「すみません、ありがとうございます」
「いえ」
かしこまるジェイクに、小さく頭を下げた。私はジェイクの足元を中心にタオルで拭き、ルーナスは暖炉に火を付けて側に椅子をずらす。落ち着いたところで三人揃ってテーブルに着くと、ジェイクは想刻を見ずに視線を落とした。
「ジェイクさん、完成しましたよ。布を取ってあげてください」
「はい……」
“クリス、済まない”
どうしてここで謝るのだろう。ジェイクの意思がはっきりと分からず、小さく口を動かしてしまった。
それに気付かないまま、ジェイクは震える手を想刻に伸ばす。両手で丁寧に捲ると、その瞳は小刻みに揺れ始めた。
“クリスだ……! 久しぶりに会えた……”
想いは声にはならずに雫へと変わる。
“クリス、彼女には会えたか?”
ジェイクは想刻の肩を撫でながら、頬を涙で濡らす。
「……俺、想刻師さんに謝らなくてはいけないことがあります」
その目は、いつの間にかルーナスへと向いていた。ルーナスは戸惑う様子も見せずにジェイクに微笑んでみせる。
ジェイクは軽く頭を振り、眉をしかめた。
「悩んだんです。でも、やっぱり、この彫刻は受け取れない」
「えっ?」
この時ばかりは、私の口は冷静さを失っていた。ルーナスが丹精込めて作り上げたものを受け取らないなんて。非難の声を上げないようにするのに必死になってしまう。
「ソレイユ、落ち着いて」
「でも……」
ルーナスの想いが無碍にされたと思うと、悔しくて堪らないのだ。依頼人を睨むわけにもいかず、堪らずに視線を落とした。
「すみません、でも、やっぱり俺には……」
「理由を聞かせてください。私、納得できません」
爪が白くなるほど、拳を握り締める。
そして、一瞬の沈黙が訪れた。オーレも遊ぶ手を止めたのか、木が小気味よくぶつかり合う音も聞こえない。激しく雨が打ち付ける音だけが響く。
「俺、気付いたんです」
ジェイクは震える声を振り絞る。
「これを受け取ったら、クリスは過去の人になってしまう。もう戻ってこないんじゃないかって。だから、本当に申し訳ありませんが……」
意外な言葉に、口をぽかんと開けてしまった。大切な人を失った人にとって、想刻は前に進むために必要な物だと確信していたのだ。それが、未来への足枷になるなんて。考えてもいなかった。
「大丈夫ですよ。無理に受け取れなんて言いませんから」
「はい、申し訳ありません。……でも、代金はしっかりと払いますので」
顔を上げてみると、ジェイクは懐をまさぐっていた。茶封筒を取り出すと、それをルーナスに押し付ける。ルーナスも中身を確認すると、にこやかに微笑んでいた。
「確かに頂戴しました。想刻は保管しておきますので、必要になった時には仰ってください」
「……はい」
“たぶん、そんな日は来ないと思うけど……”
ジェイクは視線を落とし、ぎゅっと口を結んだ。
「クリスは隣町の女性に片思いをしていたんです。それを俺が軽くからかったりしなければ、遠距離でも応援してあげていられれば……クリスは今もこの町で、慎ましくパン屋を手伝っていたのかもしれません」
たった一度の過ちが人生を狂わせる。聖女時代には多く目にしてきた光景だ。当時は嫌悪だったものが、今では共感できてしまう。私も弱くなったものだな、と唇を噛んだ。
「ありがとうございました」
「お兄ちゃん、またねー!」
見送りの時だけはオーレも加わり、傘を差すジェイクに手を振る。雨の勢いは衰えておらず、地面は雨水のせいで霞んで見えた。
“俺と一緒に泣いてくれてるのかな”
ジェイクの心の声も遠ざかっていく。そこへオーレの無垢な声が響いた。
「ルーナス、あの想刻どうするのー?」
「供養庫に置くよ」
「供養庫?」
そんなものがあるのだろうか。ルーナスの顔を見上げると、彼は大きく頷いた。
「想刻が依頼人の手元に置かれなかったのは、今回が初めてじゃないんだ」
「えっ?」
「依頼して初めて分かるんだろうね。本当に欲しいのは思い出じゃなくて、生きてるかもしれない本人だって」
思い出ではなく、本人――その気持ちは分かる。私は少しだけ、想刻の意義を見失いそうになってしまう。
「だから、想刻を押し付けることはしないようにしてるんだ。依頼人の気持ちが一番大事だから」
ルーナスはジェイクの姿が消えた獣道に目を遣ると、静かにドアを閉めた。雨は未だ激しく屋根を打ち鳴らしている。
テーブルの方を向くと、クリスがにこりと笑ってこちらを見ていた。まるで、心配しないでね、と訴えかけているかのようだ。
雨が上がった数日後、ルーナスやオーレと一緒に『供養庫』へ向かう。ログハウスの裏に、それはひっそりと佇んでいた。
数体並んだ想刻の横にクリスを置くと、ルーナスはその頭をそっと撫でる。
「どうか、ジェイクの元に帰ってあげてください」
それは想刻ではなく、クリス本人に願ったのだろう。
“帰ってあげてください”
オーレも手を合わせて、瞼を閉じる。
並んでいる想刻はどれも笑みを称えながらこちらを見ていた。光のようにも、涙のようにも見える目に埋め込まれたダイヤが太陽の光を妙に反射させる。それが私の胸をぎゅっと締め付ける。
私は結局、喧嘩の根本的な原因も、クリスが飛び出した理由も、ジェイクが想刻を依頼しようとした本心も分からないままだ。でも、それでいいのだろう。依頼人が吐き出したいのなら、聞き届けてあげればいい。依頼人が胸にしまっておきたいなら、見守ってあげればいい。
想刻師の仕事は、依頼人を分かってあげることではない。依頼人の心を少し軽くできればそれでいいのだと、ようやく気付くことができたのだ。
供養庫のドアを閉める時も、変わらない笑顔を浮かべる想刻たちのダイヤは光り、涙のように揺れるのだった。
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