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第7章 後悔を抱える夫婦 / 第20話
二つの想刻が完成するまでには十日を要した。ルーナスは誇らしげに想刻を青い布で包み、テーブルの上に置く。その横を雨合羽を着たオーレが駆けていく。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい」
私とルーナスの声が重なる。ドアが勢いよく閉まると、ルーナスは小さく笑った。
「元気いっぱいなのはいいことだね」
「そうですね」
いつまでも元気で、あの無邪気な笑顔を忘れないで欲しい。ぼんやりとドアの方を見詰めてしまった。
「さ、依頼人を迎える準備をしようか。気持ちを切り替えて」
「はい」
依頼人は喪失を抱えている。その心を少しでも解す手伝いをできたら、今回は何も言うことはない。
マグカップにココアの粉を落とし、お湯を沸かす。ケトルが煙を上げる前に、依頼人はやってきた。
「こんにちは」
ダニエルとクロエは傘を畳み、ぺこりとお辞儀をする。ルーナスはすぐさま二人を迎え入れ、テーブルに着かせた。ケトルが甲高い音を立てたので、慌ててコンロの火を止める。ココアにお湯を注ぐと、それをテーブルへと持っていく。
「失礼します」
ダニエルとクロエに差し出すと、二人は複雑そうな顔になってしまった。
“ココアはエマが好きだった”
“あの子にも飲ませてあげたいな”
二人の心の声が重なり、胸が詰まりそうになる。
「想刻ですが、きちんと完成しました。確認をお願いします」
心の声が聞こえないルーナスは、そっと微笑みを浮かべて二人の次の行動を促す。この時はいつにも増して、心の声が聞こえないことを羨ましいと思ってしまった。
ダニエルとクロエは、決心がついていたようだ。二人で頷き合うと、それぞれが想刻を包む布に手を掛ける。慎重に捲ると二人の目は見開かれ、涙が溜まっていった。
“エマだ……!”
これまですれ違ってばかりいたダニエルとクロエの心は、ようやく一つになったようだった。
咽び泣きながら両手で顔を覆うクロエの肩に、ダニエルは涙を流しながらも片手を乗せる。もう片方の手で想刻をそっと持ち上げると、もう一つの想刻に軽く頭同士をぶつけた。
「きっと、『ママ、笑ってよ』って言ってるぞ」
「エマ……」
今度こそ、クロエはわんわんと声を上げて泣き始めてしまった。ダニエルはそんな彼女を横から抱き締める。
「すみません。妻はずっと、病弱なエマに付き添っていて、気持ちが抜けないんです」
「それは……ダニエルさんも同じでは?」
何気なく、声が漏れてしまう。ダニエルはぽかんとした顔をしたけれど、私は言葉をオブラートに包もうとは思わなかった。
「ダニエルさんに気持ちがなければ、『二つのエマちゃん』は完成しなかったと思うんです」
「……言われてみれば、そうですね」
苦笑いをするダニエルに、小さく頷いてみせる。
「医者には『三歳まで生きられたらいいでしょう』って言われてたんです。それを倍の六歳まで生きてくれた。エマは本当に頑張ってくれました……」
ダニエルは今度こそ、声を出して泣き始めた。
「お二人のエマちゃんはここにいます。ここで、見守っててくれます」
ルーナスが最後に駄目押しをする。目頭が熱くなるけれど、私が泣いてしまうのは違う。
“堪えろ、俺”
どうやらルーナスも私と同じ気持ちらしい。堪らずにルーナスの手に触れると、揺れる緑の瞳がこちらを向いた。
「お二人にもお子さんがいらっしゃるんですよね?」
「えっ?」
「可愛らしいマグカップ、片付けそびれたおもちゃ……すぐに分かりますよ」
ダニエルは目を細め、マグカップを握る。確かに、私が用意したマグカップは子供が空の絵を書いたような絵柄だった。流石、見るところが違うな、と感心させられる。
「思い出しちゃいましたよね。申し訳ありません」
ルーナスが頭を下げると、ダニエルは首を横に振る。
「いえいえ、隠せって言う方が無理がありますから」
ダニエルが部屋を見渡す表情は、懐かしむようでもあり、羨むようでもあった。
“エマはおもちゃで遊べなかったからな。元気な子がいる家庭って、こうなんだな”
その心の声に、何も言えなくなってしまう。励ますのも違う。諭すのも違う。こういう場合、どうすればいいのだろう。
困っていると、ルーナスが口を開いた。
「今すぐにじゃなくていいんです。もし気が向いたら、うちのオーレと遊んでやってください」
「いいんですか?」
「はい。あの子も友人が増えて喜ぶでしょう」
ルーナスが言い切ると、クロエの涙が止まったように見えた。口角も上がり、目を瞬かせる。
“前を向いても……いいのかな。ね、エマ”
その手は想刻に伸び、そっと頭を撫でた。
「ありがとうございました」
しっかりと想刻一つ分の代金をいただき、大事そうに想刻を抱くダニエルとクロエを見送る。彼らは一度立ち止まり、木の葉の隙間から雨の上がった空を見上げた。
「雨は必ず上がる。それがどんな嵐だったとしてもね」
ルーナスは二人に聞こえないように、そっと囁いた。
「私、どうして想刻代を一つ分しかもらわなかったか、なんとなく分かりました」
今回の想刻は、個数で言えば『二つ』になる。しかし、向けられた想いは『一つ』だったように思う。形は違っても、両親の愛情を受けたエマは一人だけなのだ。
今は前を向くのが難しいかもしれない。立ち止まってしまうかもしれない。でも、それは悪いことではないと思うのだ。私だって、前を向こうとしている最中なのだから。
どうか、ダニエルとクロエの未来に虹がかかっていますように。祈るような気持ちで、私も空を見上げた。
小さな空には、淡い虹の端が見えたような気がした。
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