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第1章 捨てられた聖女 / 第2話
「それ、触らないほうがいいよ。ルーナスに叱られちゃう」
オーレはとことこと私のところへやってきて、にこっと笑う。
“ルーナス、早く帰ってきてー”
「あの……」
「何ー?」
先ほどからオーレが言っている、ルーナスについて知りたくなった。オーレが不思議そうに首を傾げていると、外の方から声が聞こえてきたのだ。
“はぁ……疲れた……”
気怠そうな男性の声だ。この声の主がルーナスだろうか。
間を置かず、玄関のドアが開かれる。現れたのは、癖のある茶髪に緑の瞳の青年――目が合うと、その人は僅かに目を開いた。
“ん……? 綺麗な人……誰?”
その声からは、棘も嫌味も感じられない。整った顔立ちなのに、あまりにも表情や心も素朴だ。私の中の時が止まってしまったかのように思えた。
オーレは青年の元へ駆けていき、その裾を掴む。
「オーレ、この人は?」
「あっ、名前を聞いてなかったー。お姉ちゃん、お名前は?」
警戒心がないわけではない。一度、唇を引き締め、静かに口を開いた。
「……ソレイユ、です」
「ソレイユ……」
“太陽、か。名前も綺麗だな”
屈託のない青年の笑みに、頬の温度が僅かに上がる。
「貴方は……?」
「俺はルーナスです。ここの家主の」
「あのね? ルーナスはこの町の英雄なんだよ!」
オーレは矢継ぎ早に言い、温かい光のように笑う。この優しい心の声の持ち主が英雄――。
しかし、ルーナスは困り顔になってしまった。
“英雄は嫌なんだよなぁ”
「オーレ、それは言うなって言っただろ?」
「だってー。本当のことだもん」
オーレはぷくっと頬を膨らませる。ルーナスは苦笑いをすると、片手をテーブルの方へと指した。
「とりあえず、座りませんか?」
「は、はい……」
四人がけの古びた木製のテーブルに着き、膝の上で手を握った。緊張で手には汗も滲んでいる。ルーナスは隣に座るオーレの頭を優しく撫でた。一拍置いて私に視線を向け、優しく目を細める。
「今日はどうされる予定だったんですか?」
「予定……」
私にはそんなものはない。目を伏せて、どうしたものかと思案してみる。
“聞かない方がよかったかな?”
「……そんなことありません」
ルーナスの心の声に、あろうことか反応してしまった。どうしよう。焦って顔を上げると、目を丸くするルーナスの姿があった。
“俺の心の声が……聞こえた?”
「い、いえ……申し訳ありません」
“そんなわけ、ないか”
どうやら、上手く誤魔化せたらしい。ルーナスの顔には微笑みが戻っていった。
「行くところはあるんですか?」
「……ありません」
「うーん」
ルーナスは唸り声を上げたまま、腕を組む。そして、決心を固める。
“この人の目は、あの時のオーレの目と同じだ”
オーレと同じ目とは、どういうことだろう。疑問を口にする間もなく、ルーナスはにこっと笑った。
「行く場所が決まるまで、ここに泊まりませんか?」
「えっ?」
「町の宿は高額ですし。家事をしてくださるのなら、俺は構いません」
その申し出はありがたい。でも、私なんかが居座っていいのだろうか。
「私は……」
心の声を読めることを伝えた方がいいだろうか。迷いに迷っていると、ルーナスは立ち上がる。私のトランクを抱えると、一室のドアを開いた。
「ここを使ってください。空き部屋だったんです」
私もそろそろと立ち上がり、部屋に近付いてみる。煤けた窓から入る日差しが、部屋に舞う埃を浮き上がらせる。ベッドにタンス、テーブルと椅子、それに鏡――不安げに揺れる金の瞳は私を見詰め返す。
「本当にいいんですか?」
「いいから言っているんですよ」
「あの……」
心の声が聞こえることは、絶対に秘密にしない方がいい。夢を見た後で追い出される方がつらい。
オーレには聞かせたくない。それとなくドアを閉め、ルーナスと二人きりの空間に身を置く。
“どうしたんだろう”
「……今、『どうしたんだろう』って思いましたよね?」
「えっ?」
ルーナスはトランクを落としそうになりながら、口をぽかんと開く。
「私は……そういう厄介な人間なんです」
“やっぱり……”
ルーナスは唇を噛み締める。
やはり、追い出されるのだろう。ルーナスからトランクを奪おうとすると、彼は渡すまいとトランクを自身の後ろへと持っていく。
「出ていくんですか?」
「だって、迷惑じゃ……」
私が口を噤むと、ルーナスは首を横に振った。
「つらかった……ですよね。人の心なんて、好き好んで聞きたいものじゃないですし」
私のことを理解しようとしてくれているのだろうか。予想外の展開に、ルーナスの瞳を見詰めてしまった。
「……余計に貴女をここから出したくなくなりました」
ルーナスはトランクを部屋の隅に置き、にこりと微笑む。
「自由に使ってください」
それ以上、ルーナスは何も言わない。ドアを開け、静かに部屋を出ていってしまった。
“……俺が気軽に、彼女の傷に触れない方がいい”
ルーナスの表情も、この言葉の意図も分からない。でも、確かに私の心を考えてくれている。それだけは伝わってくる。
この国の教会に私の能力が知られてしまえば、もしかするとまた聖女として祀り上げられるかもしれない。ルーナスは黙っていてくれるだろうか。言ってしまった後で心臓は激しく鼓動する。
ここにいる未来が怖いはずなのに、涙が出そうなほど胸が解けていくのだ。この感情に、きっと嘘はない。ここにいたいと強く願ってしまった。
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