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第9章 悲劇の親子 / 第25話
あの依頼人を見たから思い出してしまう。私は貴族出身ではない。華々しい世界とは無縁だと思っていた。そして、心の声が聞こえるのは、特別なことだとは思っていなかった。
宿屋を営んでいた両親は、私を外へは出そうとはしなかった。今思えば、私を不気味な存在だと認識していたのだろう。
“ソレイユなんて名ばかりだ。どこが太陽なんだ”
自室に食事を用意してくれた父は、ふと心の声を漏らした。その冷たさが今でも胸に残っている。
“絶対に外に出るなよ”
私を睨んだその威圧的な瞳を、絶対に忘れたりはしない。
「ソレイユ? 考えごと?」
ルーナスの声が現へと覚醒させる。目玉焼きは丁度、半熟に仕上がっていた。慌てて三等分にし、フライパンから下ろす。
「こっちの、ちょっと焦げてる」
もう一つのフライパンに並べていたベーコンは、脂が弾けて端が茶色に変わっていた。
「ごめんなさい……」
「ううん、これくらい大丈夫だよ」
“それより、ソレイユが心配だな。今回の依頼人に会ってから、ぼーっとすることが増えたような気がする”
ルーナスは腕を組み、難しそうな顔で私を見る。
「昔のことを思い出してる?」
「……ちょっとだけ」
私が正直に頷いてみせると、ルーナスは半歩だけ前に出た。
「無理はしなくていい。今回は止めたっていいんだよ?」
何回言われても、私の決意は変わらない。首を横に振り、拳を握り締める。
「ソレイユは頑固だな」
ルーナスは苦笑いをしながら、頭に手を当てた。
“その誠実さがソレイユの魅力でもあるんだけどね”
私は誠実なのだろうか。分からないのに、頬だけが熱くなる。
ルーナスは無言で目玉焼きとベーコンが乗った皿を運ぶので、私もトーストを用意する。
「今日のご飯はー?」
「オーレの好きなベーコンだよ」
「やったー!」
“早く食べたーい!”
この二人と出会えてよかった。心からそう思う。せめて、私も笑えたら――それだけが今の私にとっての呪いだった。
ルーナスは今日も想刻を彫る。木を削る音が部屋に響き、木の匂いが充満していく。私はルーナスの傍で、形になっていく想刻を見守っていた。
「明後日、町で紫陽花祭りがあるんだ。ソレイユはやっぱり留守番する?」
「はい、あまり人の多い所は……」
「そうだよね」
分かっていたと言わんばかりにルーナスは頷き、ノミを動かす。私もルーナスやオーレと色々な思い出を作りたい。しかし、大衆の心の声に晒される勇気がまだ持てずにいた。
申し訳ない気持ちとどうしようもない諦めが胸でせめぎ合い、痛みを残す。
「オーレが楽しみにしてるから、俺は行ってくるね。お土産は必ず買ってくるから」
「ありがとうございます」
痛んだはずの胸に、そっと明かりが灯る。ルーナスのたった一言が、私の心をころころと変えていく。
想刻の目の部分だけ未完成なまま、祭りの日はやってきた。昼下がりになり、頭に紫陽花の花冠を着けて、ルーナスとオーレは玄関で私ににっこりと笑ってくれる。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい」
オーレに手を振り、二人が遠ざかっていくのを見届けた。
さて、私は何をしよう。読書をしていてもいいのだけれど、二人がいないからこそできること――そうだ、家の大掃除をしよう。窓を全て開け、箒を持つ。
「徹底的に綺麗にしよう」
心に決めて箒を掃く。毎日掃除しているのに、埃は出てくるらしい。私の部屋も、ルーナスの部屋も、オーレの部屋も箒をかける。ただ、想刻の周りだけは手を付けられなかった。壊してしまうのが怖いというより、ルーナスの魂がこもったものを迂闊に触りたくなかったのだ。
日はだいぶ傾いてきているだろう。二人が帰ってきたら喉が渇いているかもしれない。はちみつレモンでも用意しようか。掃除用具を片付けてから、冷蔵庫へと向かう。レモンはある。丁度、二個だ。
輪切りにしようとレモンを並べ、包丁を持つ。最初は上手くいっていたのだ。何事もなく終わるかと思った。それなのに、最後の最後にレモンを持つ手が滑ってしまったのだ。運悪く、指は包丁にぶつかった。
「痛っ……」
切りどころが悪かったのか、血がまな板に落ちる。早く止血をしなくては。慌ててタオルを数枚取り、テーブルに向かった。
「どうしよう……」
救急箱の場所が分からない。普段から、ルーナスに聞いておけばよかった。こんなところを見られては、二人に心配をかけてしまう。
タオルで傷口を圧迫してみる。それでも血は止まってくれない。持ち出したタオルは半分くらいが赤く染まっていた。焦って唇を噛み締める。そんな時だった。
「このピアス、喜んでくれるかなぁ」
「きっと喜んでくれるよ」
外の方からルーナスとオーレの元気な話し声が聞こえてきたのだ。傷を隠す間もなく、ドアは開かれる。
「ソレイユー! ただい……」
目が合った瞬間、オーレは手に持っていた白い小袋を落とした。空色の瞳は小刻みに揺れ、息が詰まる。
「ソレイユが……死んじゃう!」
オーレは床を蹴り、私の足に飛び付く。彼の目からは大量の涙が溢れる。
「ルーナス! 助けてよぉ!」
「オーレ、大丈夫だから」
“やだ! そんなのやだ……!”
ルーナスがあやしても、オーレは落ち着く気配を見せない。私も撫でてあげたかったけれど、この手ではそれができなかった。
「大丈夫だよ。ちょっと怪我しただけだから」
「本当……?」
オーレはストンと腰を落とし、ぽかんと口を開ける。大袈裟でも、心配してくれたことは素直に嬉しい。
「ありがとう」
そっと囁くと、オーレは大泣きしてしまった。血がオーレのトラウマに直撃しているとは、この時は想像もしていなかったのだ。
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