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第5章 遠くを見る彼女 / 第12話
二日後に現れた依頼人は、掴みどころのない人だった。
「あの……ライラと申しますが」
“想刻師さんは……いる?”
黒髪の若い女性が玄関のドアから顔を覗かせる。薄紫の瞳は、私ではなくルーナスを探しているようだ。
「ルーナスのお客様ですね。少しだけ、掛けてお待ちください」
私がテーブルを手で指すと、女性――ライラは深々とお辞儀をした。手には小ぶりのトランクを持っている。
あいにく、ルーナスは食料品の買い出しに出てしまったのだ。ライラの予想よりも早い来訪には間に合わなかった。
キッチンに赴き、グラスを二つ並べる。氷を落としてからアイスティーを注ぎ、テーブルへと戻った。ライラはじっとこちらを見て、私の様子を窺っている。
“この人は……想刻師さんの奥さんかな”
みんな、私とルーナスとの関係を勘違いしてしまうらしい。ちょっぴり恥ずかしくて、ライラから少しだけ視線を外す。
アイスティーを差し出すと、ライラは一口だけ含んだ。
“美味しい……”
ライラは表情を崩さず、ただテーブルを見詰める。私が向かい合うのも違う気がして、様子を見ながらキッチンでレシピ本を眺めていた。
ルーナスが戻ってきたのは、氷が半分ほど溶けた頃だ。勢いよく玄関のドアが開く。大きな麻袋を背負ったルーナスは、ライラの姿を見つけると慌てた様子で頭を下げた。
「ライラさん、ですよね? お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いえ、私が早く来てしまっただけですので。こちらこそ申し訳ありません」
ライラもお辞儀し、頭を上げる様子はない。何故か、ルーナスとライラの謝罪合戦が繰り広げられた。
“もうちょっと早く家を出ればよかった。ごめんなさい”
“遅刻するくらいの時間に家を出ればよかった。ごめんなさい”
似た者同士なのだろうか。変なの、と思いながらも声に出すのは我慢した。
「ルーナス、似顔絵を描くんですよね?」
「えっ? う、うん」
収拾がつかず、横やりを入れてみる。ルーナスはようやくこちらを見て、にこりと微笑んだ。椅子に腰を下ろし、スケッチブックを広げる。
「早速ですが、想刻をして欲しい人とはどなたですか?」
「行方不明の恋人なんです」
想刻の話題になると、ライラの表情は一気に曇ってしまった。視線を落とし、口を噤む。
“あの人は……どこにいるんだろう”
その心の声は心許なく揺れている。
「顔は覚えていますか?」
「それなんですが……」
ライラは床に置いていたトランクに手を掛けると、中から薄い何かを取り出した。
「あの人の似顔絵を持ってきたんです」
ライラは静かに、手に持った似顔絵をルーナスに差し出す。水彩画のような淡い色彩で、丁寧に色も塗られている。
しかし、ルーナスはそれを受け取ろうとはしない。
“うーん、今回はこういうタイプか”
一人で納得し、ゆっくりと首を横に振った。
「俺は、そういうのは参考にしないようにしてるんです」
「えっ? でも……」
「完全にその人かどうかではなく、今、貴女の心の中にいるその人の姿を想刻したいんです」
“どうしよう……。上手く伝えられるか分からない……”
ライラの表情は、より一層沈んでしまった。その不安はルーナスにも伝わっているだろう。まだ、私の出番ではない。
「一つずつゆっくり伺いますから。大丈夫ですよ」
ライラの心を落ち着けるように、ルーナスはゆったりとした口調で諭す。
「輪郭はどうでしたか?」
「あの人の場合、卵型……って言うんでしょうか」
“顔は思い出せるのに、いい言葉が浮かばない”
ルーナスが鉛筆で線を描いても、その行方をライラの瞳が追うことはない。私は心の声を聞くことはできても、心に浮かんだ映像を共有することはできない。下手に助け舟も出せないので、ルーナスの腕を信じるしかなかった。
「目はどうです?」
「植物の細い種……って言ったらいいんでしょうか。笑ったら少し細くなるんです」
“例えが難しいな……”
ルーナスも苦戦しているようだ。鉛筆を走らせては消しゴムをかける。手も何度か止まった。
ようやくライラも似顔絵に向き合う気持ちになったようだ。無表情でルーナスの仕事を見詰めている。
“そうじゃないけど、でも……”
似顔絵が似ていないのだろう。しかし、ライラは口を結び、言葉を付け加えようとする意志は見えない。このままではルーナスも頭を悩ませるだけだ。
私にできることは何かないだろうか。考えてはみたけれど、何も浮かんではこない。
「ルーナス、休憩しなくても大丈夫ですか?」
「……そうだね。ちょっとだけ休もう」
ルーナスは大きく息を吐き出し、鉛筆を置く。
休憩に持ち込めたのはよかった。ルーナスの額には僅かに汗が滲んでいたのだ。他に、私にできることは――。
「ソレイユ」
「はい」
「ちょっといいかな」
仕事中に、初めてルーナスから頼られた。それがちょっぴり嬉しくて、胸に僅かな明かりが灯る。
ルーナスの部屋に入ると、彼はそっとドアを閉めた。
「ライラから何か読み取れることはない?」
ドアの向こうを気にしながらも、ルーナスは声をひそめた。でも、私に答えられることはない。ゆっくりと首を横に振る。
「ごめんなさい、私には、ライラが自己嫌悪に陥ってることしか」
「そっか……」
“困ったな”
ルーナスは唸り声を上げたものの、すぐに気持ちを切り替える。
「ソレイユ、ありがとう。戻ろう」
「はい」
“今は描き続けるしかない、か”
ルーナスなりの結論に、口を引き締める。これは私が口出しすべきことではない。全て彼の仕事なのだから。
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