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第4章 吹っ切れない彼氏 / 第11話
翌日、アッシュは約束よりも早くに姿を現した。入れ違うようにして、オーレはログハウスから走り去る。
「お子さん、いらっしゃるんですね」
“可愛いな”
アッシュはオーレの背中を見て、にこやかに目を細める。
「あの子は俺が無理やり引き取っただけです」
「そうなんですか」
“じゃあ、この人と結婚してるわけじゃ……ないのか?”
アッシュの目には、私とルーナスが夫婦に見えたのだろうか。特別に異性だと意識したことがないので、違和感が先行してしまう。
アッシュは一礼し、椅子へと腰を下ろす。
「リーシャさんの顔、思い出せました?」
「それが……」
アッシュはゆっくりと首を横に振る。
「やっぱり、顔が分からない人なんて、彫刻できないですよね」
「そんなことはありませんよ」
にっこりと笑うルーナスに、アッシュは目を丸くした。
「だって、彫刻なんて顔が一番でしょ?」
「輪郭と目は似顔絵とそっくりなんですよね?」
「そうですけど……」
アッシュはルーナスが広げた似顔絵に目を落とす。
“この目は絶対にリーシャなんだ。でも、他はもう思い出せなくなってるなんて……”
私は『思い出せない』という事実よりも、『目だけは思い出せる』という事実が大きいと思うのだ。
「あの、私から少しいいでしょうか」
まっすぐにアッシュに視線を向け、口を開いていた。
「はい」
「さっきから見ていて思ったんです」
アッシュを傷付けないように、私の能力を悟られないように言葉を紡いでいく。
「アッシュさん。目の話をする時は、迷いがありませんでしたよね? 目はその人の顔なんです。目を思い出せるって、リーシャさんの目がしっかりと貴方を向いていた証拠だと思うんです」
「本当にそうなんでしょうか……」
昨日の勢いはどこへいったのだろうか。アッシュからはすっかり威勢が消えている。
「俺、聞いちゃったんです」
アッシュは大きく溜め息を吐く。言い淀むように、口はもごもごと動く。
「リーシャは別の誰かと駆け落ちしたって。リーシャの口は嘘をついてた。リーシャの鼻は別の男の匂いを覚えてた。だから、思い出せないんじゃないか……って」
「アッシュさん、想刻やめますか?」
ルーナスの囁きに、アッシュは目を見開いた。
「つらい想いを引き摺るための道具になるだけなら、いらないと思うんです」
アッシュは唇を噛み締める。
“俺は……俺は、どうしたらいい?”
ルーナスの確信をつく言葉に、アッシュの心は大きく揺れる。
“俺は、リーシャを忘れたくない。でも、リーシャの迷惑にならないだろうか。俺は……”
アッシュは目を閉じ、深呼吸をする。
“いや、結局は俺がどうしたいかだ。俺はリーシャが好きなんだ!”
そして、アッシュはカッと目を開く。
「……やめません。俺は、リーシャを愛してますから」
“リーシャあぁ……!”
どうやら、昨日の気力が戻ったらしい。アッシュの心の声は泣き叫ぶどころか、喚いているに近い。
「じゃあ、俺に提案があるんです。顔を完成させないのはどうかなって」
ルーナスは包み隠さず、想刻について提案をする。アッシュは戸惑っているようにも見えたけれど、最終的には納得したようだ。
「曖昧にするよりも、ずっといいと思うんです。これが、今の貴方のリーシャさんですから」
「はい! お願いします!」
“もう少しでリーシャに会えるぞおぉ!”
一つも描き加えられなかった似顔絵は、その結末を静かに語っているようでもあった。
アッシュが去った後、ルーナスはすぐにノミを握った。木を削る心地のいい音と、削れた部分から香る木の匂いが部屋を満たしていく。
「それにしてもあんな提案、よく思いつきましたね」
「ん? うん。あの結果は、今までの仕事の成果だよ」
「どれくらい、想刻師をしてるんですか?」
「うーん、二年くらいになるかな。元々、彫刻師ではあったんだけどね」
ここでちょっとした疑問にぶつかった。二年前に、何かあったのだろうか。
でも、この疑問はルーナスの事情にズカズカと土足で入り込むようなものだ。口にはできず、ただただ彫り進んでいく彫刻を眺めていた。
「本当は、いつも目は最後に彫るんだ。けど、今回は特別。目が命だからね」
ルーナスは輪郭を彫り上げる前に目に刀を入れる。円らで、アーモンドのような形の目――似顔絵とそっくりに仕上げていく。そして、瞳を彫り抜くと、極小のダイヤの欠片らしきものを埋め込んだ。これがテーゼの言っていた『目の中が光ってる』の正体だろう。
「この石は依頼人を見てる希望でもあるし、見続けられない涙でもあるんだ」
意味を知ると、一気に切なくなる。胸がぎゅっと締め付けられ、思わず手を当ててしまった。
五日後、約束の時間ぴったりにアッシュはやってきた。その心の声は意外と落ち着いているかと思った。想刻を目にするまでは。
“リーシャ、迎えに来たぞ”
温かみがあって、素朴な声だ。
「では、こちらをお渡ししますね」
ルーナスはテーブルの上に青い布で包まれた想刻を置いた。アッシュは生唾を飲み込み、布に手をかける。すっと捲ると、アッシュの瞳がじわじわと潤んでいく。
“これは、確かに俺の記憶にあるリーシャだ! リーシャあぁ……!”
心の声は一気に騒がしくなった。アッシュは何度も心で『リーシャあぁ!』と連呼し、想刻を抱き寄せる。
「そんなに喜んでもらえるとは、彫りがいがありますね」
「貴方は天才です! こんなに再現してくれるなんて!」
溢れる涙はリーシャの想刻を濡らす。
「では、お代を」
「あっ、そうでした」
アッシュはハンカチで顔を拭い、財布を取り出す。今度は仕事に見合った金額でありますように、と拳を握る。
「こちらをお納めください」
「確かに」
アッシュが差し出したのは、紙幣数枚だった。今度はきちんとした作品代をいただいたらしい。
「本当にありがとうございました」
「いえいえ、とんでもありません」
ルーナスとアッシュは互いに礼をすると、どちらともなく笑い声を上げた。
「もう来ることはないと思いますが、この恩は忘れません」
“リーシャ、一緒に帰ろうな”
アッシュは玄関で改めて丁寧に礼をし、くるりと背中を向ける。その腕の中には鼻も口もない、目だけが印象的な想刻がしっかりと抱かれていた。
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