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第4章 吹っ切れない彼氏 / 第10話
そこで、アッシュが一人の人物とすれ違ったのだ。どこかで見たことがある。ああ、あの銀の髪はエルネスだ。エルネスの足はまっすぐにこちらへと向かってくる。玄関まで来ると、ようやく足を止めた。
「ルーナス、ソレイユ。さっきのは依頼人か?」
「うん、そうだよ」
「それにしては、ずいぶん元気がなかったな」
相変わらず、エルネスの心の声は聞こえない。
「恋人の顔を覚えてなかったみたいなんだ」
「ふーん」
しんみりと話すルーナスの言葉にも、エルネスは無関心のようだ。
「じゃ、話があるから、上がらせてもらうよ」
「うん」
ルーナスの返事を待たず、ずかずかと家に上がり込む。一応、エルネスもお客様だ。飲み物を用意した方がいいだろうか。キッチンに向かい、冷蔵庫からリンゴジュースを取り出す。三つ並べたグラスに、零れない程度に注いでいく。
「ソレイユ。俺はそういうのいいから」
「……はい」
リビングからエルネスの声が響く。心の声が聞こえないのは厄介だ。三つ注いでしまってから言われても、と少しだけ頬を膨らませてみる。
注いでしまった三つ目のジュースはオーレが帰ってきた時に飲ませてあげよう。気持ちを切り替え、二つだけグラスを持ってルーナスとエルネスの元へと急ぐ。二人はテーブルに向かい合い、にこやかに談笑していた。
「この前、王都の神父が俺のところに来てさ、減らず口を叩いたんだ」
「どんな?」
頬杖を突くエルネスに、ルーナスは小さく首を傾げる。
「『罪の意識がない民衆は気楽でいいですね』だとさ。俺がどんなに暇してるかも知らないで」
「へえ……」
“減らず口じゃなくて皮肉だよね……”
ルーナスは目を細める。
私はルーナスの心の声が正しいと思う。無言のままルーナスの席にジュースを置き、私も腰掛ける。
「それに、こんなことも言ってたな。『聖女の加護がなくなって一番被害を被った町が、こんなに賑やかになるのは不自然じゃないか?』ってね」
“それは英雄のお陰なんだよな……”
ルーナスは苦笑いをし、ジュースに口を付ける。
しかし、私の心は『聖女』という言葉に敏感に反応していた。心臓が飛び跳ね、無意識にエルネスを見詰める。
「ソレイユ、どうかした?」
「いえ……。この国には加護がある聖女がいたんだってびっくりしただけです」
「うーん」
エルネスは冴えない顔で「でも」と話を続ける。
「心の声を聞ける聖女はいなかったけどね」
「えっ?」
まるで、聖女が二人いて当然であるかのような口振りだ。ぽかんと口を開けていると、エルネスは嘲笑する。
「そんなに驚くこと?」
「いえ……」
エルネスは私が聖女であったことは知らない。これからも、きっとエルネスには話さない方がいいのだろう。そんな気がする。
“ソレイユ、ごめんなさい”
ルーナスの心の声に振り向いてみると、何故かルーナスは口をへの字に曲げていた。エルネスの前では首を振るのも躊躇われ、視線だけを落とす。
そんな時に、オーレの心の声が聞こえてきたのだ。
“楽しかったけど、明日はルーナスに遊んでもらお!”
そして、勢いよくドアが開く。
「ただいまー!」
「おかえり」
私とルーナス、そしてエルネスの声が重なる。
“あーっ! ルーナスとソレイユ、ジュース飲んでるー!”
私がオーレにジュースを勧める間もなく、オーレは私の手にあるグラスを見つけたようだ。
「ぼくもジュース欲しい!」
「すぐに出しますね」
いそいそと椅子から立ち上がり、冷蔵庫を開ける。飲んでくれと言わんばかりのグラスが窓からの光を反射した。
「そうだ! エルネス、ソレイユってね?」
背後からオーレの声が聞こえたので、振り返ってしまった。私が聖女だったことを言うのでは。手が冷えるのを感じながら、三人の様子を窺う。すぐさまオーレは両手を口に当てた。
「オーレ、どうした?」
「ううん、何でもない」
“言ったらソレイユが消えちゃう”
前に私が言ったことを覚えていてくれているらしい。ほっと胸を撫で下ろすと同時に、オーレに無理強いをさせてしまったなと胸が痛んでしまった。
私はルーナスの隣に、オーレはエルネスの隣に腰掛け、進んでいく会話を聞いてみる。
「そういえばルーナス、依頼人が顔も覚えてないんじゃ、似顔絵も描けてないんだろ?」
「依頼人にはまた明日来てもらうから、それまでに思い出せたらスムーズにはいくね」
「えーっ? じゃあ、明日も一人で遊びに行かなきゃ駄目なのー?」
「オーレ、ごめん」
ルーナスは手を合わせ、オーレに渋い顔を見せる。オーレは「ぶー」と膨れると、玩具の方に走っていってしまった。
「オーレに寂しい思いをさせてるのは分かるんだけど……」
“どうしても仕事は減らせないし……”
ルーナスは申し訳なさそうに、遊び始めたオーレに視線を向ける。それを見て、エルネスは表情を和らげた。
「一概にはそうも言えないぞ? オーレは町の人に好かれてるからな。遊び相手はたくさんいる。俺もその一人だし」
エルネスまでオーレと遊んでいるなんて意外だった。まあ、オーレの将来を憂いているくらいだ。特別なことではないだろう。
「さてと、俺は帰ろうかな。明日は礼拝の日だから、準備しないと」
「ここに来てる場合じゃなかったんじゃないか?」
「まあな」
エルネスは否定も肯定もしない。それが私の胸をざわつかせ、心の空白を生み出す。
エルネスが無造作に立ち上がるので、私とルーナスも腰を上げた。そこで気が付いた。エルネスの耳には十字架のピアスが揺れている。聖職者の証だ。私の耳には、もうそれがない。一瞬だけ、呼吸が浅くなる。
「ルーナス、オーレ、ソレイユ、またな」
「またねー!」
オーレが元気よく叫ぶと、エルネスは夕暮れの風景の中に溶けていった。
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