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第3章 親を待つ男の子 / 第6話
料理を失敗すること、早三回――味の薄いクリームリゾットを平らげ、今夜こそ成功させてみせるとテーブルの下で拳を握る。
「誰でも最初は失敗するものですから」
ルーナスとオーレはにこにこと笑い、私に温かな目を向けてくれる。
“しょっぱいのより薄い方が美味しかったー”
オーレの心の声に、少しは進歩しているのだろうか、と気持ちが前向きになる。
「オーレ、今日は依頼人が来るから。好きなところに行っておいで」
「うん!」
ルーナスの言葉にオーレは元気よく返事をし、椅子から飛び出した。そのまま玄関へ走り、姿を消す。
「依頼人って……例の子供、ですか?」
「うん、そうですよ」
私は子供が少し苦手だ。純粋すぎるがために、平気で他人を傷付ける言葉を吐く。オーレが偶然にも思い遣りがあっただけだ。
相手は私が心の声を聞けるとは知らない。言葉が刃となって私に振りかかったとしても、耐えなくては。
手に汗を握りながら、依頼人の到着を待つ。そして、玄関のドアは開けられた。
「あの……」
“できてる……かな”
現れたのは、艶のある漆黒の髪が印象的な男の子だ。青い瞳は私たちに向けられ、心細そうに揺れている。
「大丈夫だよ。入って」
ルーナスが笑顔で迎え入れると、男の子は小さくお辞儀をする。私がルーナスの隣へ移動し、男の子はルーナスの向かいに腰を下ろした。
“似てるかな……。どうしよう、怖い……”
あまりにも弱々しい心の声に、手を伸ばしそうになる。
「今日はお母さんのだけね。お父さんのは今日、似顔絵をもらうから」
「うん……」
ルーナスは青い布に包まれた何かをテーブルの上に置く。布をスルスルと剥がしていくと、女性の木彫りが姿を現した。男の子は一瞬で涙ぐみ、雫を落とす――ように見えた。
“……お母さんの目じゃない。お母さんはもっと目が円かった”
男の子は片手で涙を拭うと、じっと木彫りの目を見詰める。
「似てなかったかな」
「ううん、似てるよ」
“ちゃんとお金を払えないのに、文句なんて言えない……”
心の声を押し殺し、男の子は首を横に振った。
“どうしよう……”
そのまま男の子は目を伏せる。
今、ルーナスに伝えた方がいいのだろうか。いや、それでは男の子に不気味な人だと拒絶されてしまう。言い時は今ではない。
「……もうちょっと手を加えたいから、お母さんの方もまだ預かってていいかな?」
「うん……」
ルーナスも何かを察したのだろう。再び木彫りを布で包み、今度はスケッチブックを広げた。
「次はお父さんの顔について聞いてもいいかな」
「うん」
“お父さんこそ、ちゃんと彫ってもらおう”
男の子は大きく頷き、口を結ぶ。
「目はね、細いの。それで、ちょっと垂れてる」
「顔の輪郭はこんな感じかな」
「ううん、もうちょっと四角いよ」
男の子の証言を元に、ルーナスは器用に鉛筆を運ぶ。芯が紙を擦る心地いい音が小さく耳に届く。輪郭を描き、目を描き、鼻を描き、口を描く。男の子の心の雑念はなく、思いを全て声に乗せられているようだった。しかし、仕上げの段階で男の子は小さく身を乗り出す。
“……あれ? お父さんの口って、こんなに大きかったっけ”
青い目を瞬かせ、口を小さく開けた。
“お父さんの口って、どんなだったっけ……。思い出せないよぅ……”
想いを声にしたいようなのにできず、唇を震わせる。今度こそ、男の子は大粒の涙を流し始めた。声も出さず、浅い呼吸を繰り返す。
「ちょっと休憩しようか。無理に泣き止まなくても大丈夫だからね」
「うん……」
私の心の方が張り裂けそうだ。もう黙ってはいられなくなってしまった。
「ルーナス、ちょっと来てください」
「ん? うん」
ルーナスを呼びつけ、私の部屋へと誘い込む。ドアの閉まる小さな音が響くと、声をひそめた。
「お母さんはもっと目が円ら。それで、お父さんの方は口の形が分からなくなってます」
私が囁くと、ルーナスは一気に職人の顔に変わり、メモを取る。
「ソレイユ、ありがとうございます」
「いえ。これくらい、なんてことありません」
ルーナスは私に微笑みかけると、すぐに部屋を出ていった。私もその後を追う。男の子はまだ静かに涙を流していた。
“絶対に忘れたくないから、だから想刻師さんにお願いしたのに……”
「君、名前を聞いてもいいかな?」
席に戻るなり、私から口を開いていた。男の子は初めて私の目をしっかりと見る。
「……テーゼ」
「テーゼね。私はソレイユっていうの。よろしくね」
「うん……」
“この人、さっきから目が冷たい……。怖いよ……”
それは私も自覚していることだ。一発目の言葉のナイフが胸に突き刺さる。それでも、表情に出すまいと口を引き締めた。
「テーゼにとって、お父さんとお母さんってどんな人?」
尋ねると、テーゼは静かに目を伏せてしまった。
「優しくて、明るくて、元気で……。でも二年前、僕を置いて出ていっちゃった……」
“戻ってきてくれるって信じてるけど……でも、また会えるのかな……”
まずいことを聞いてしまっただろうか。やってしまったと思いながらルーナスの方を見てみる。
“任せてください”
ルーナスは心で返事をし、小さく頷いてくれた。
「またお父さんとお母さんに会ったら、何がしたい?」
ルーナスが聞くと、テーゼは小さな唸り声を上げる。
「一緒にご飯食べて、一緒に釣りをして、一緒に笑って……普通のことがしたい」
「きっとできる。だから、もう少し待てるかな?」
「……うん!」
ルーナスは一瞬でテーゼの気持ちを切り替えてしまった。流石、この想刻師という仕事を選んだだけはある。
「お父さんの顔は思い出せた?」
「えっとね、唇はもうちょっと厚いの。それで、もうちょっとだけ小さくて」
「こんな感じ?」
「うん! お兄ちゃん凄ーい!」
どうやらテーゼの満足のいく似顔絵になったようだ。私たちに満面の笑みを見せてくれた。
「じゃあ、ちょっとだけお兄ちゃんの仕事を見ていく?」
「うん!」
ルーナスがいつもの部屋の隅に移動するので、私とテーゼもそれに続く。ルーナスの隣に腰を下ろし、興味津々でノミさばきを見届ける。
「テーゼは将来、どんな仕事がしたい?」
「うーん、パン屋さん! いっぱいパンを食べられるでしょ?」
「そうだね」
ルーナスはくすくすと笑う。それでもテーゼの父親の顔を彫る手はブレない。
“お願い、上手くいってー”
テーゼの心の声もルーナスを応援している。
想刻師は、ただ上手い木彫りをするだけではいけない。依頼者の気持ちを掬い取り、確実に形にする。とても尊い仕事だ。それをたったの数時間で学んでしまった。
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